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5. 缶詰工場から


 コンベアーの上を、ラベルのない缶詰が行進していく。

 僕はそれを横目に、スマートフォンでSNSを眺めている。

 どんな工場もそうなのだろうが、場内は清潔を保たれていて、明るくて居心地がいい。毎朝きれいに掃除される床はピカピカで消毒薬のにおいがするし、温度も湿度も管理されているので、時々病院にいるような気分になる。

 どこかの女子高生が山登りの時に撮ったらしい、なんとなく人の形をしているように見えるリンゴの木の写真に「イイネ!」を付けたところで、背後から主任に声をかけられ、僕は飛び上がった。

「ごくろうさん」

 太ってメガネをかけた主任は、オットセイのような腹を揺さぶりながら、にこやかな顔を向けた。僕を驚かせたことには一切お構いなしに、連れてきた新人に指導するように一言残し、主任は工場を出て行った。

 新人はずいぶん若い男の子で(高校を中退したところだと本人は言った)、黒い髪の真面目そうな顔にめがねをかけていた。今時工場勤務を選ぶのだから、見た目通り実直なのだろう。めがねくんは先輩の僕へ、背筋を伸ばして、きれいなお辞儀をする。

 工場の施設は見学してきたところだと言うので、僕は業務方法を説明するだけでよかった。

 まず僕は、めがねくんを列の一番最後、缶詰が流れてきても困らない席へと案内した。ここならば捌けきれない缶詰は、横のかごに落ちていく。

「溜まっても、気にしなくていいから」

 この仕事は時間がかかるので、数のノルマはあってないようなものなのだ。新人は緊張した面持ちで、作業台の前に座り、周囲を見渡した。十数人の作業員が同じようにコンベアーの側を陣取って、銘々スマートフォンやパソコンに目を向けている。

 僕はコーヒーマシンに似た計録器を持ってくると、缶詰を設置して、容器が記録可能な状態にあることを確認してみせた。そして一応ではあるが、缶の周りには亜鉛とマンガンが入っていることも教えておいた。

 それからスマートフォンと、接続するケーブルをつないで見せた。そこまでやっておけば、あとは繋がっているかぎり、機械が自動でやってくれる。

「あとは当番さんが作っておいてくれたアカウントがあるから、好きに使ってね。知っていると思うけど、仕事のことに触れなければ、何を書いてくれても構わないから」

 この後は主任に説明された通りだ。SNSアカウントを覗いたり、友達を作ったり、イイネしたりするだけ。

 めがねくんが何か言おうとした時、僕の機械から通知音が鳴った。

 ちょうどいいので、僕は自身のスマートフォンをめがねくんの機械につないで、画面を見せながら説明した。

 それは、大学生の女の子のアカウントだった(少なくとも、プロフィール上ではそうなっている)。この子はいつも、詩みたいなかわいい呟きをする。今朝食べた食パンがふかふかだったとか、大学の雨どいに雑草が生えていたとか。だが、昨日なにか悲しいことがあったらしい。

「変な話かもしれないけど、コツはね。この世界のどこかに、その人が本当に存在しているって自覚すること」

 そして、イイネ、を押す。しばらくして、計録器が発動し、缶詰にそれを記録した。僕のイイネが届き、それを見た彼女の笑顔がネットケーブルに乗って、ここに戻ってきた音。

「で、出来上がった缶詰はこっちに積んでおく、と」

「はあ」

 イイネの缶詰、一丁上がりだ。

 めがねくんはおずおずと、業務に自分のアカウントを使ってはいけないのか、と尋ねた。別に、いけないことはない。ただ、会社のことがばれたり、社内アカウントとのつながりがわかると削除しなければいけないので、プライベートは使わない方が気軽なのだ。

「僕たちはほら、正体がばれちゃいけないからさ」

 少しだけ自虐を込めてそう言う。僕は笑ったかもしれない。が、めがねくんにその意味は伝わらなかった。

「それでその、この缶詰ってどうするんですか」

「さあ、僕はよく知らない。なんでも外国の創作レストランに出荷されるとか聞いたけど」

 味もにおいもない、文字通りの隠し味なのに、この缶詰がとても高価なのだ。高品質を維持するため、ここでしか作られない缶詰。

 めがねくんはいかにも真面目そうな眉をひそめて、

「…本当にこの中、入ってるんですかねえ」

 と言った。働き始めた頃、僕も同じ疑問を持っていた。でも今は、それは重要ではない気がしている。

「さあねえ」

 工場の中のどこかでまた、通知音が鳴り響く。

 僕はめがねくんの肩を軽く叩くと、自分の席に戻った。

読んでくださってありがとうございました。少しでも楽しんで頂けたらうれしいです。