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02.未来時間n

 散々『異世界転生』やら、『タイムループ』を扱った物語に親しんでいたのに、実際に起こると戸惑うのである。
 正確に言うならば、転生もタイムスリップも起こってはいない。
 わたしはわたしのまま、自分にとっては未来であるところの現在時点に、到達するまでの記憶がないので、時空を跳んだような気がしているだけだ。
 狼狽は、自分が死んでいたからかもしれない。
 いつ幽霊になったのか、憶えていない。それはまあ、良いのだ。わざわざ苦しかったであろう死の瞬間を、思い出そうとは思わない。死因だっていくつか思い当たるけれど、どれも誰かに迷惑がかかっていそうなので、はっきりさせて気を病みたくないのだ。
 単純に、意外だった。そうなってしまった心当たりがない。後悔もなければ、恨みもない。
 肩を竦めてみたところで、周囲からの反応は得られない。
 言葉をかけても届かない。
 例えば人込みの中にあえて立ち尽くしてみたところで、人々とわたしはぶつかることがなく、この身が物質を通り抜けるのかもわからないほどに、道行く者は残酷なまでの自然さで、一瞥もせず、場を避けてゆく。
 また、目に入る町並みへ、あまりにも馴染めないせいもあるかもしれない。
 落ちている新聞の日付からすると、最後に憶えている時期から、三十年近く経っている。
 わたしが生きていた頃ですら、都市開発には目覚ましいものがあった。田舎ですら、数年経てば町並みはがらりと変わったものだ。しかし、違和感はそこからではない。
 ここはたぶん、日本ですらない。
 西洋的な建物の並ぶ大通りを、様々な言語を話す、様々な外見の人々が行き交う。根気よく耳を澄まして聞いてみれば、英語が多く話されているように思う。
 言語は得意ではない。とにかく情報を得るのに、ひどく苦労した。
 辛うじて拾い集めた単語の数々、車が左側運転であること、街角に設置された地名のプレート。それらから恐らく、ここはイギリスだ、と見当をつけた。
 断言はできない。納得がいくまで、調査することができないからだ。
 前提としては、わたしは自由意思で動き回ることができる。
 幽霊と言えば空中浮遊するイメージがあるがそんなことはできないので、移動は徒歩が基本だ。けれど上手くすれば車に滑り込むこともできるし、公共交通機関なら更に手軽に乗り込める。
 けれど、気が付くと移動させられてしまう。
 適当な飛行機に潜り込んでほっと一息ついた途端、大きなスクランブル交差点の前にある本屋の入り口に佇んでいる、といった具合で、気を抜いた瞬間、全く別の場所にいるのである。それはスーパーであったり、学校であったり、道端であったり様々だ。
 ある時どうやら、ある少女の元へ引き戻されているらしい、ということに気が付いた。
 どうやらわたしは、彼女に付随する幽霊であるらしい。
 大学か専門学校の学生らしい。ということはハイティーンではあるのだろうが、それにしては幼い顔立ちをしている。ヨーロッパ系ならば逆に年齢よりも年上に見えることが多いはずだから、アジア系の血が混ざっているのかもしれない。
 ではひょっとして、彼女はわたしの親類なのだろうか。
 典型的な少子化の影響で、わたしには同世代の親戚がない。
 唯一次世代を持つとすれば兄だが、わたしの記憶では結婚もしていなかった。仮にその後最短で子どもが生まれていたと考えてはみる……が、計算が合わない。彼の娘としては若すぎ、その次世代とするにはちょっと年上すぎる気がする。
 年齢に関しては無理やり納得することもできるのかもしれないが、それにしたって面影が全くない。骨が太く、いかにも体育会系の兄に対して、小柄で線の細い、可憐な少女なのである。
 物静かな少女に親近感は抱くものの、それが親愛かと言われると首を傾げるほかにない。けれど、血のつながりがあれば無条件に信頼し合えるわけではないのだし、逆に、赤の他人だからと歩み寄らない道理もない。
 御託を並べたところで、どうせわたしに選択肢はないのだ。
 わたしは一旦、それ以外の全てを諦めることにして、少女を観察することにした。
 先述の通り、少女は学生なので、毎日学校へ通う。
 真面目で規則正しい。しかし、誰とも会話をしない。人当りの良い笑顔でにこやかに挨拶はするものの、特に親しい友人をもっていないらしい。誰も声をかけないので、「サーシャ」という名前を知るまでに、二週間以上かかってしまった。
 サーシャは植物のような娘だ。
 女性を花に例えるなどいかにも凡庸な、と笑われるかもしれない。けれどそうであれば、わたしの意図は伝わっていないのだろう。誉め言葉ではないのだ。
 サーシャは服装、髪色共に目立たないので、人込みの中に紛れてしまう。よく見れば、美しい見た目をしているかもしれない。けれど活気というか、生命力が希薄だ。その点では確かに、花瓶に生けられた花に似ている。
 彼女を生き物とするならば、まだ植物に分類したほうがしっくりくる、と言い換えるべきかもしれない。
 本質を突き詰めるのなら、菌糸類だろう。
 わりと知り初めの頃から、わたしはサーシャのことを、そう感じていた。
 ごく普通の、大人しい娘なのである。それでいて得体のしれない、何かがあるように思われた。丸く愛らしいキノコの下、菌糸が土の中いっぱいに広がっているように。あるいはそれと主張しないまま、毒を持っているように。
 サーシャの妙を確信したのは、ある日の宅配便を受け取ったことによる。
 人毛が入っていた。
 自分が人外になって、もうそうそうのことでは驚かない自信があったのに、思わず二度見してしまった。普通郵便。ありふれた茶封筒に、たっぷりと黒髪が詰め込まれて届いたのだ。
 実物を手に、いっそう不気味を感じるはずの当人は顔色一つ変えることなく、荷物を受け取った姿勢のまま、玄関先で髪を弄んでいた。小さな靴置きの上、普段用と雨用のコートが壁のホックにかけられた、ごく普通の背景で。
 それから少し首を傾げ、髪束を持ったまま作業部屋へ向かう。この時ばかりは、ついていくのを躊躇した。けれど見なければもっと後悔するのはわかっていたので、戸惑いを無視し、無理やり足を動かした。
 一人暮らしのアパートには、小さいながら部屋が二つもある。
 一部屋は寝室で、もう一部屋は作業部屋だ。窓際に大きな机がでんと置かれている、殺風景な部屋である。今はさっぱり片づけられているが、何かを制作中、机上はあらゆる物でごったがえし混雑を極めることを、わたしはよく知っている。
 部屋には大きな箪笥が備わっているが、衣類は一切入っていない。入っているのは布だ。布と、糸と、毛糸と洋裁道具。
 サーシャの趣味は、編み物と刺繍なのである。
 洋服吊には皺を伸ばした布がかけられ、引き出しには小さめの材料が、几帳面に整理されている。備え付けのクローゼットもあって、それもけっこうな広さがあるのだが、そこには道具が片づけられており、一部日光に当てたくないらしい材料が、これまたケースに入れられてみっしりと詰まっているのだった。
 例えば衣類や化粧品など、若い女性らしい私物は、寝室の小さな備え付けのクローゼットにちんまりと片付いてしまうくらいしか持っていない。この対比を見てもらえば、サーシャがいかに趣味に力を入れているのかがわかるだろう。
 その情熱は知っていた。けれど、サーシャが羊毛を取り出して、人毛を軸に毛糸をより始めたとき、わたしはなぜだか呆れてしまった。
 おぞましい毛糸は山となり、ある程度量ができたところでふたつのカセにされた。
 更に数日かけて、サーシャはそれらに染色を施した。
 玉ねぎの皮と、肉桂の棒、たぶん、爬虫類の皮と、よくわからない何かと。ずいぶん長い時間をかけて、少女は糸に色を付けた。繰り返し繰り返し、色水で糸を煮こんで、登校時間を漬け置きに利用するなどして。
 わたしは染色などしたことはないけれど、色止めの薬品とするには異様に大量の粉を見ていてふと、「あ、この娘は魔女なのか」と気が付いた。
 合点がいけば、ヒトと馴染まない性質も、時々変なタイミングで歌い出すくせも、いちいち納得がいくのである。
 そしてまた、それがわたしがここにいる理由なのだと、原因もわからず確信した。
 何も解明されていない。証明だってすることができないのに、わたしはそれに、ひどく安心したのである。
 糸を辿った先に、何かが確かに繋がっていたのだと。
 わたしの気分など知りようがないサーシャは、浴室のシャワーカーテンのレールに色付けが終わった毛糸を並べようとするが、量が多いので苦戦している。
 わたしはトイレの便座に座ってそれを眺める。
 膝の上には、湿って重たい糸束。わたしがいる上にサーシャが、持ったまま作業するには重すぎたため、仮置きしたものだ。人毛は外からではわからず、糸は綺麗な茜色に染まっている。
 それを干すための場所を工面しようとするも、小柄なサーシャは四苦八苦しているばかりで、作業の終わりは見えない。それに最近分かったのだが、思ったよりも不器用な娘なのだ。
「魔女のくせに、幽霊が見えないしね」
 誰にも見られず、話せなくなって久しい。
 いつぶりの発声かも思い出せない自分の声は、記憶の中のそれよりも、高くて歪な感じがした。恥ずかしさから、とっさに口元に手をやる。
 膝上の糸束が、タイルの上へ落ちた。
 サーシャが振り返り、不思議そうな顔をする。


読んでくださってありがとうございました。少しでも楽しんで頂けたらうれしいです。