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19.恩師欠席

 息子が年頃になってきたので、そろそろ本気で将来を考えるべきかと思い、転校先の見学にやってきた。
 なんせ中学生になった息子は、息を吸うように毒を吐く。
 母親のわたしは生まれてから一緒にいるのでもう慣れたものだが、これでは同級生、友達は一緒にいるのも辛かろう。
 幸い、まだ深刻なトラブルは起きていない。
 今のうちに、なんとかすれば、更生できるだろうと判断した。それを親が行うのは過保護すぎるかもしれないと、自分でも思わないこともないけれど。
 引き受けてくれる学校は、全寮制だ。
 驚いたことにロンドンの真ん中、ハイドパークのすぐそばにあった。宮殿が目と鼻の先にある。とにかく問題の多い子が集まる学校だというのに、いいのだろうか、と見学者なのに心配してしまう。
 しかし、開門してくれた受付の青年の意見では、だからこそ良いのだそうだ。
 この辺りは、領事館なども多いのである。この学校には、様々な国籍の子が在籍しているので、何かあった時にすぐに対応できるよう、わざとこの場所に開校したのだそうだ。
「あとは提携する学問の、ソロリティが多かったんですね。万博後は雨後のたけのこのようにあったんですよ、この辺に。こちら私設の学校でしたから、客員教授が頼りだったんで」
 案内係を引き継いだ女の子が、少し間延びした口調でそう言った。
 幼い顔立ちは、どう見ても小学生以下にしか見えない。
 けれど、驚きの言葉を飲み込んで表情をぐっと抑える。世界には、色々な事情を持った人がいるのだ。詮索は野暮。
 てっきり事務局の誰かかと思ったら、教員のひとりであるらしい。
 担当教科も説明されたが、不明な分野なので聞き流してしまった。とりあえず校内設備を紹介するのに、先生がうってつけだったのだそうだ。
 なんせこの女の子は学校のOBで(!)、教員になってここに残り、若いからと寮菅も押し付けられているので、生活全体に詳しいという。けれど、「今日は新入生の歓迎会で、クラスをボイコットされて暇なんです」とあっけらかんと笑うので、ちょっと不安になってしまった。
 しかしどうして、現役教師の説明力は大したものだ。
 校内を一周する間に、この建物が十九世紀に建てられた貴族のお屋敷だったこと、現在の在学生数と推奨する生活スケジュール、それから卒業後の進路について、一通りのことは知ることができたのだった。
 それでわかったのは、学校生活が想像していたほど窮屈なものではない、ということだった。
「やっぱり、それぞれのペースというものがありますからねえ。幸いうちは少数ですから、融通が利くものも多いんです。全員が一斉に新学期を迎えることの方が、少ないですから」
 戻ってきた応接間で新しいカップのコーヒーを渡してくれながら、小柄な先生はにっこりと笑う。
 十二月という変な時期に転校相談を受けて、嫌な顔ひとつしなかった理由がそれらしい。それぞれの問題が急に悪化して、というケースがほとんどだから、いつでもすぐさま受け入れ可能なのだそうだ。現行の歓迎会は、そうした突然の変化に、新入生と同級生がストレスを感じすぎない配慮であるらしい。
 その代わり、学業に関しては「まあ、多少の遅れは覚悟しておいてください」ということだった。これは多分、問題がある子の家庭では珍しくないだろうが、うちは幼少期ホームティーチングを経験しているので、勉強まで手が回らないことぐらいはわかっている。是も非もない。
 ただ、許可されている自由行動が思った以上だったのは、ちょっと不安だ。
 今はまだ男子と遊んでいた方が楽しいようだが、ここは大都会のど真ん中だ。これまでの制限への反動から例えば夜遊びを覚えたり、悪事への誘惑に負けたり、しないだろうか。
 クラスの全員にサボられたといっていたが、実際には歓迎会の時間を与えたという方が正しいらしい、先生は通り過ぎる学生のほとんどに挨拶されたり、からかったりからかわれたりしていて、慕われているようだった。
 それに気を許してぽつりとその心配をこぼしてみたら、思いがけず真剣な表情で「そうですねえ」と、先生は二、三度頷いた。
「残念なことに、事故は絶対に起こらない、とは言えません」
 けれどそれは、学校の規則が緩いのに関係がない。悪い人間はどこにでもいて、他者を利用しようとするものだ。
「さっきの、受付のあの子も」
 と、そこで一端言葉を切って、先生は
「いえ。失礼ですが、お子さんの問題は遺伝で?」
 と全く違うことを訊いた。
 隠し立てしても仕方ない。わたしは、軽く首を振る。
「前に流産を何回かしまして、故郷の母が見かねて、死者の魂を蘇らせるまじないを送ってくれたんです。おかげであの子が産まれて、でもたぶん、術が失敗してたんでしょうねえ」
 割と早い頃から、息子は健康に問題を抱えていた。
 この数年では寝込むことは少なくなったが、代わりに同級生が謎の体調不良を訴えるようになった。それが呪いによるものなのか、体内で毒を作り出しているのかは、わからない。
 原因の不明には、しかし先生は特にコメントを挟まなかった。
 そういうケースも多いのだろう。近代国際化が進んだ都市部では、世界各国の「変わった子ども達」が住んでいて、先祖返りであったり突然変異であったり、多種多様の性質を持っていると聞く。
 先生はちょっと首を竦めてみせた。
「家族で前例があると、対処がわかってて楽だと思われることが多いのですけれど、実際には不幸が起こる確率なんてほとんど一緒です」
 実をいうと、わたしが高校二年生の時にもちょっと失敗した子がいて、死んでるんですよね、と事もなく付け加える。
 夜遊びを覚えて、悪い大人に引っかかった同級生がいたのだという。
 時々、生理的欲求から、ヒトを捕食しなければならない種がある。その場合、周囲の大人に心得があるのが普通で、だからその子も習った通りに、被害者を装って狩りをしていた。ところが若さ故の高慢さから些細な失敗をし、餌ではなく同行していた友人を殺してしまった。時に、知っていることが油断を招くことに繋がる。
「でもまあ、それはいいんです。ここはうんと失敗して、自分なりのモラルと許容範囲を見つける学校だと思ってください。殺しやすい子もいれば、死にしやすくて転生に慣れてる子もいますから」
 応接間のドア越しに入り口へ、そしてこっそり自分の胸を指さして、先生が目を細める。
「大丈夫ですよ」
 それを聞いた瞬間に、わたしは決意したのだ。
 あれから、十数年になる。
 転入当時戸惑いばかりだった息子は、年少からその世界にいたかのように学校に馴染み、「キスしても死ななさそうな気の良い連中」と付き合いができて、ほんの先日前には、その中のひとりと本当にキスをして、夫婦となった。
 ただ例の先生はその後二回目の転生中で、生まれ変わっていたとしてもまだ乳児であろうから、今どこにいるのかわからない。
 式に出席してもらえなかったのは、本当に残念だ。


読んでくださってありがとうございました。少しでも楽しんで頂けたらうれしいです。