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22. 貸しトナカイ、バレンシア支部


 お電話ありがとうございます、貸しトナカイ、バレンシア支部でございます。

 わたしは教わった通りの口上を並べ、電話に向かって微笑んだ。もちろん、それは普通の黒電話なので、相手に顔が見えるはずがない。でも、表情が声に影響を及ぼすような気がして、いつもそうするように心がけている。何の根拠もないことではあるけれど。

 まあ、どうせいつも通り、間違い電話だろうけれど。わたしは薄っぺらいフェルトでできた赤い帽子を被り直し、相手が間違いでした、と言って切るのを待った。

 この支部の電話番になって三か月、かかってきた電話は数えるほど、そしてその全てが間違い電話だった。当たり前だ。今の時代、どんな人間がトナカイを借りようと思うのか。

 ところが、この電話は違っていたのだ。

「急にうちのトナカイが病気になってしまったんですけれど、ルドルフはいますか。今年からの子がいるので、できたら経験のあるリーダーがいいんですけど」

 わたしは一瞬、返答に詰まった。

 聞いていない。客だったときの対応は、教わっていないのだ。

 慌てて上司の机に目を向けると、いつも通りパソコンゲームをしていたらしい課長が、わたしの狼狽に気が付いて顔を上げていた。その膝の上で寝ていたセンパイのネコが、急な動きに眠りを阻害されて、不機嫌な声をあげる。

 声には出さず、口を動かして「トナカイ」と伝える。課長はすぐに状況を察したが、まじめな顔で、両手で顔の前で×を作った。

 何の役にも立たなかった。

 わたしは課長への思いつく限りの悪態を飲み下し、多少ひきつった笑顔で電話の相手に頭を下げた。

「大変申し訳ございません。ただいま全て出払っておりまして」

 本当のことを言えば、この支部にトナカイはいないのだ。この何年も貸し出されたことがないので、本社が数年前に全て引き上げてしまったと聞いている。

 電話の向こうで困惑している様子が、手に取るように伝わってくる。

 声からすると、新人なのだろう。ひょっとしたら、今年が初仕事なのかもしれない。とんだことになったことへの同情、そしてその手伝いさえできない自分を、不甲斐なく感じた。

 しかし、責任問題になってしまうので、トナカイがいないので別を当たれ、とは言えないのだ。

「もしよろしければ、キリンならご用意させていただけますが」

「…それは神獣のほうですか?」

「舌が紫のほうでございます」

 相手は更に困ったようだった。

 それはそうだろう。鹿の仲間を頼んだのに偶蹄目を提案されたら、誰だって即決はできまい。

 かろうじて草食であるだけましなのよ、とわたしは心の中で言い訳をした。今すぐ貸し出せるのは、事務所のネコとマーモット、コマドリくらいしかいない。マーモットはただの大きなネズミだし、コマドリは赤い色がチャームポイントであることくらいしか、ルドルフと共通点がない。

 長い沈黙の末、電話の向こうから、恐る恐ると言った風に質問が投げられる。

「それはその、訓練を受けた…?」

「当支部では動物園と提携しておりまして、非常時にキリンを借り受けることができるようになっております。正規の訓練は受けておりませんが、人を恐れず、体力があり、個体数を揃えることができるのが売りでして」

 暇な時間は山ほどあるので、暗記するほど読んだ業務書類の内容をすらすらと答えてみたが、この説明がこの状況で何の役にも立たないことは、自分でもよくわかっていた。彼が必要なのはトナカイであって、キリンではない。

 電話の相手に通話を切る気配はない。だが、会話を続けることもできないらしい。それは怒りからというよりは、途方にくれてどうして良いのかわからないようだった。

 ちら、と横目で課長を見る。

 課長は目を逸らし、自分は関与しない、と無言で表明した。事務所には計五人の職員がいるのだが、営業や書類を届けに出ていて、今ここにはわたしと課長、ネコの三人しかいない。

 わたしは少し躊躇ったが、しかし別のいいアイディアが思いつかなくて、ため息をついた。

 お客さま、と声をかけると、頭を抱えていた相手が、その顔を上げた気配がした(気がした)。

「大変失礼かと存じますが、病気のトナカイはルドルフ一頭でございますでしょうか」

 会話に進展がありそうと踏んでか、相手の男性は急いではい、と答えた。

 しょうがない。わたしもこの人も困っていて、他に解決策はないのだ。

「通常の重量でしたら、一頭かけたところで問題はございません。ナビゲートはお手数ではございますが、GPSをご利用なさるとよろしいかと存じます」

 わたしは知っているいくつかのナビゲーションシステム名を上げてみせた。電話相手はメモを取っているらしく、わたしの言葉を一言ずつ繰り返す。

「そこで唯一問題となるのが、群れを制御するというルドルフの役割でございます。が、それは先頭に立つにふさわしいものと群れに認められれば、必ずしもトナカイである必要はございません。ですが、お客さまはあまりお仕事の数をこなされたことがないようにお見受けしますが」

 はい、と相手は食いつくように言った。何度も首を縦に振る、その様子が目に見えるようだ。

「新人なんです。でも人手が足りなくて、自分でやってみろ、と言われるばかりで。唯一仲がよくなったルドルフは風邪をひいてしまうし、もう僕どうしていいのかわからなくて」

 泣きそうな声に、わたしは心から同情した。ろくでもない上司を持つ気持ちは、とてもよくわかる。

「わたくしはただのオペレーターですが、祖父が同業でございました。同じ状況の話を聞いたことがございます。が、お客さまにはまだ、トナカイたちとの時間が不足されているようですので、どうでしょう、そちらのオフィスではネコを飼っていらっしゃらないでしょうか」

 通常ならトナカイ舎のネズミ除けに飼っているはずなのだが、電話相手はいない、と言った。不況の波がこんなところにまで。

「それではこちらの部署から、ネコを派遣いたします。それで業務に支障は出ないと存じますが、いかがでしょう」

 社会的な動物であるトナカイたちは、初対面のネコでも、地位が上と判断すれば、言うことを聞く。ましてうちのセンパイは、かなりのベテランでいらっしゃるのだ。

 助かります! と耳元で大きく叫ばれて、わたしは思わず受話器を落としそうになった。

 でもよかった。かなり出すぎた真似ではあるけれど、仕事に穴が開くよりはいいはずだ。

 いくつかの注意点を述べ、書類を送るためのメールアドレスを聞き出し、電話を切った。

 すぐにメールを送信し、既読確認が届くのを確かめて、わたしは課長の席に向かう。課長は知らんぷりしてソリティアをしていたが、こっちだって役立たずに用はない。

 課長の膝の上で事情を聞いていたセンパイは、机の上に飛び上がり、顎でしゃくってわたしを見下した。二股のしっぽで、ぱたぱたと課長を叩いている。いつもこんな態度をとってはいるけれど、頼めばちゃんと派遣されてくれる、頼りになるセンパイであることを、わたしはよく知っている。

「センパイ、お願いできますでしょうか」

 背筋を伸ばし、きちんと頭を下げてお願いすると、センパイは大儀そうにうなずいた。丁寧に業務内容を口上で確認し、職員のマークである金の鈴の付いた赤いリボンを首に巻く。すっかりクリスマス仕様になったセンパイはフン、と鼻から息を吐いて、事務所のドアを出て行った。

「帰ってきたら、一杯奢ってやんなさいよ」

 パソコンの画面から目を逸らさずに課長が言い、わたしはその背中に、黙って冷たい視線を投げかける。

読んでくださってありがとうございました。少しでも楽しんで頂けたらうれしいです。