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「住みたい街No.1」にある不動産屋が吉祥寺をおすすめしない理由『吉祥寺だけが住みたい街ですか?』

※本記事は、「マンガ新聞」にて過去に掲載されたレビューを転載したものです。(編集部)

【レビュアー/小禄卓也

吉祥寺。それは、長年「住んでみたい街」ランキングで1位を取り続けてきた街。

今年9月に発表されたとあるマンションポータルサイトの「住んでみたい街アンケート(首都圏/関西圏)2015年」で恵比寿に初めてトップを譲り2位となったが、別の住宅情報サイトの「住みたい街ランキング」では相変わらず1位をキープ。惜しくも2位となった先のアンケートでも、昨年までは7年連続で1位だった。

「公園が多い」「商業施設が充実している」「日常生活に便利」「おしゃれだから」など、当たり前だが見た目や街のスペックに対して魅力に感じるコメントがたくさん付いている。

『吉祥寺だけが住みたい街ですか?』という漫画は、そんな、多くの人が憧れる街・吉祥寺にある不動産屋「重田不動産」を舞台にした物語だ。

なにせこの不動産屋、来訪したお客さんに一切吉祥寺をおすすめしない。お客さんはもちろん吉祥寺に住みたい気持ちで来ているし、地元だからたくさんの吉祥寺物件も紹介はする。するにはするが、紹介している物件がいまいちピンとこないため、吉祥寺を飛び越えてまったく別の地域へお客さんを引っぱり出す。

連れてこられたのは、雑司が谷。東京に来て8年経つ僕でもいまいちよく分からないエリアだ。

さすが不動産屋さんといった具合に、その土地の見どころを紹介して回る双子姉妹。まるで観光に来たかのように、連れ回されるお客さん。

内見するうちに、双子姉妹の人の心に土足でドカドカ上がってくる態度も相まって、身の上話をし始めるお客さん。そんな1日を過ごすうちに、雑司が谷という街にも妙な愛着が湧き始める。

こんな調子で、吉祥寺に憧れを抱いて重田不動産にやってくるお客さんは、なぜか吉祥寺じゃない地域に惹かれていく。まさにタイトル通り、「吉祥寺だけが住みたい街ですか?」という問いに対して「そんなことないんだ」と気付かせてくれるステキな作品である。

人は場所に住むのではなく、思い出と暮らす

僕は上京したてのころ、好きなミュージシャンが歌の中で下北沢を歌っていたことから、下北沢に住むことしか頭になかった。そこ以外考えられなかったため、今でも下北沢に歩いていける場所に暮らしている。

このように、人によって「住みたい」と思っている街はいろいろとあるだろうが、そもそも住んだことも行ったこともなければ、本当にその街に住みたいかどうかなんて分からない。ましてや、他の地域のことなんて考えたこともないから、双子姉妹の巧みな話術で見知らぬ街の魅力にハマっていくのだろう。

人がその場所それ自体を気に入るのではなく、その地域を彩る人やお店が紡ぎだす物語を気に入るのだと思う。今の吉祥寺は都市開発が進み、昔ながらの吉祥寺っぽさや物語性が薄れてきているという話をときどき耳にする。

作者のマキヒロチさん自身も地元がほぼ吉祥寺で、「バウスシアターがなくなった時に吉祥寺の何かがひとつ終わった」と答えている。

この作品で吉祥寺をおすすめしないのは、没個性化が進むにつれて多くの人が抱く「憧れの吉祥寺像」から離れつつある吉祥寺を知っているからこその、「もっといろんな街の魅力を見て、知った上で本当に住みたい家を見つけてほしい」というマキさん自身のメッセージなのかもしれない。

そんな中で、唐突に突きつけられた予想外の地域の提案。双子姉妹との奇妙なショートトリップ。その街での体験は不思議で新鮮なものとなり、記憶に強烈なインパクトを残す。この小さな物語がお客さんの心に深く染み込み、そのまま住むことを決めるのではないだろうか。

「食マンガ」ブームの次は「暮らしマンガ」がくるか

話は変わるが、最近は右を見ても左を見ても食マンガがはびこっている。食マンガレビュワーの苅田には悪いが、僕は食マンガというジャンルに食傷気味である。最近は、あざとさすら感じてしまい積極的に読みたいと思えなくなっている。

一方で『吉祥寺だけが住みたい街ですか?』は「くらしマンガ」というジャンルになるだろうか。不動産マンガは過去にもいろいろ出ているらしいが、今はこのジャンルに大いなる可能性と魅力を感じる。

例えば最近、「OWNERS」という農作物や水産物の生産者と繋がりその作物のオーナーになれるサービスがリリースされた。このサービスの記事を読んでいると、作物を育てている地域の雰囲気が伝わってきてその場所に行ってみたくなる。

特に、最近は地方創生が声高に叫ばれるご時世。地方で暮らすことのリアルを漫画というツールで表現することで、多くの人にその土地土地の物語を届けることができそうだ。イケダハヤトさんあたりが高知での暮らしを原作として書いて、Web漫画家さんに描いてもらったらそれなりにヒットしそうな気がする。僕もちょっと読んでみたい。

ということで、『吉祥寺だけが住みたい街ですか?』には暮らしマンガの火付け役としても期待したい。