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【創作】数字は独身に限る

この列のマスには3と4しか入らない。そう「わか」ったらあとは簡単だった。今までウンウン唸っていた数分間が嘘のように、他のマスにも数字が入っていく。その瞬間はさながら、宝石箱にひとつひとつ指輪を当てはめていくようだ。脳みそから液体のようなものが分泌されるのを確かに感じて、これを「脳汁」と称するのだと理解する。数独というパズルは特段好きでも嫌いでもないが、それでも目につくたびに取り組んでしまうのは、この液体が脳を破って全身に巡るまさにこの瞬間が快感だからに他ならない。

多くの人間は「正義」という全能感に抗えないようだが、それに抗える人間がいたとして、「わかる」ことへの全能感には抗えないように思う。無秩序で真っ暗な世界に光が見えたとき、これを信じずにいられる人間は一握り以下だろう。

恐ろしいのは、「わか」りきったあと。数独を解き終わり完成した盤面をみたとき、自分がどこでどう悩んでいたかの痕跡が残らないことだ。そこには9×9に収まった1〜9までの数字が無個性に整列しているだけだ。今までの全能感が全て取り除かれてしまうほどつまらない。なぜこんなものに躍起になっていたんだろうか。

そういう意味で、恋の終わりは数独に似ている。「わか」ってしまえばあとは簡単だ。盤面が完成したらおそろしくつまらない日常という箱があって、当然、私たちは一緒にはいない。目の前の彼女(おそらく今日の終わりには、彼女だった人となる)が泣いていたって、このパズルはもう組み上がってしまったもので、解けてしまったもので、もう一度やり直しましょうなんてことにはならない。

窓の外の桜は毎年決まって美しく、それは最愛だった人の涙がそれ以上に美しく見えていた日々の栄養を吸っているからだろうと思う。事実、もう目の前の女の涙は美しく見えないのだ。解き終わった後の数字の羅列のようにいのちが失われてしまっている。

ごめんね、という何の慰みにもならない言葉を紡ぎながら全能感を得ている自分の養分も吸って、桜は来年も美しく咲くだろう。少しずつ飲んだことで地層のようにステインが残るマグカップをのぞき込み、そう思った。

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