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アイドルと消費

KinKi Kids様にハマってから10ヶ月が経過しようとしている。
去年ハマることができたから、25周年というメモリアルイヤーを頭からずっと応援することができている。"偶然"を"奇跡"と思いながら日々を過ごせているだけでありがたい。

25周年を記念したPOPUP STOREにも足を運んだ。デビュー前から今までの写真や、最近の衣装があまりにもラフに飾られている。所狭しと並ぶ展示ではなく、余白だらけの贅沢な空間。「25周年だからできる」と思わせる素敵なストアだった。

ストアではとりあえず一通りのグッズを入手した。
……そもそも、あまりグッズは買わない主義だった。少なくとも使わないものは買わない。部屋にたくさんのものを飾るのは趣味じゃないし(情報量がは少ないほうがいい)、1年触れないものは捨てると決めて生きてきた。でも、去年から「1年以上触れないもの」ばかりが増えてきている。部屋を圧迫していて、そろそろおさまりきらなくなってきている。

グッズの中にはかわいいフォトフレームもあったので購入した。そうなると、飾るための写真もほしくなってくるのが人間の性というものだ。
今までどれだけグッズを購入しても写真だけは買わずにいた。ご尊顔を飾るのはちょっと恥ずかしいし、「そういう自分」はあまり理想ではなかった。だが、彼らの写真は美しかった。思わず手が伸びた。ひとつカゴに入れたあとは、タガが外れたように気に入ったものをすべてを買った。

そうして、聞く人が聞けばドン引きするような値段を払って店を出て、渋谷の街を歩きながら、私は購入した写真たちのことを考えていた。

(もう彼ら自身は活動する必要がないほど稼いでいるとはいえ)あの写真たちの売上が彼らや彼らの関係者たちの血や肉になることを知っていた。そして写真というものが一番コスパのいい”商品”だということも。
けれど、大量に刷られたあの写真たちを、何百何千と「在庫」のあるすてきな笑顔を、どれがいいかな、と選んで、原価1枚数円を何百倍もの値段にしてそれを買うという行為が、愛とお金を文字通り天秤にかけるようでつらかった。32年間生きてきて、これほどまでに資本主義を呪ったことはない。
私自身、お金を稼ぐこともそれを消費をすることも比較的好きな自覚があるし、正直かなり羽振りのよい生活していると思う。資本主義の恩恵を十二分に受けている方だとも思う。でも、彼らを、彼らの人生を、そして私から彼らへの愛を、「消費」する行動を取ることはつらかった。
お金を払うことで、人は一定の満足をする。満足の結果、以前ほどの熱量が持てなくなる。そして流行は廃れる。ひとつの「愛だったもの」になる。そのときはドン引きするほど価値があったものがいともたやすく捨てられていく。ときには、売られさえする。その渦の真っ只中にいるのがあの写真たちだった。胸がきゅっと痛くなった。
ファンはお金を払うことでしか恩返しはできないし、資本主義の上ではそれが正しいあり方だとも思う。ただ、その方法が、今、変化してもいいのではないか。
たとえば、お金を払う「だけ」の方法があってもいい。グッズも要らない、写真も要らない。CDもそう。ギネス記録を更新し続けるために枚数を売ることと、昨今叫ばれている(そして徐々に浸透してきている)サステイナブルな感覚はやっぱり相容れない。テレビの視聴率や本の発行部数と同じで、そもそも「評価方法」が古いんだと思う。お金そのもののあり方も、もう変わっていいんじゃないか。

きっと、写真そのものの価値を見出すなら、色褪せるまで飾るのが正解だろう。そう思い、テレビボードの上の、「1年と触ることのないであろう」大量のCDが眠る棚に、ひっそりと写真を飾った。何十枚も買ったのに、それでも飾られるのは1枚きりだ。
CDが増えるたびに開ける棚に飾られた彼らをみるたびに、また少し心が痛むのだろう。

……そんな小難しいことなど考えず、なんの疑問も持たず好きな人の顔をニコニコしながら飾れる人生じゃなかったことも、少し呪った。私のちくりとした胸の痛みは、誰の人生にも関係のないことだけれど。

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