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『したいこと』の先に見えてくるもの

おはようございます。今日は物語ではなく自分の内面を整理するために投稿します。

この夏は本当に色々な事があり人生のターニングポイントになりそうです。

こんなにも辛く苦しい毎日が待ち伏せているとは想いもよらず、ただ、後から冷静に判断すればおよそ必定だったと言える様な事はいくつもあり。
幸せだと感じた日々ですらひっくり返せば疑念に塗れ。それもこれも全て帰結するのは猛省と回顧の念ばかり。

なにもないと思っていた自分の中に残っていたのは、ダサい男でありたくないと言う、漠然としてかつ今はまだ少し不安定な想いと、とにかく走りたいと言う衝動でした。


ダサい男とはなにかを自分なりに定義しました。

〜いつまでも過去にすがってその場に留まろうとする、成長と変化を放棄した姿。旧態依然とした態度。
依存的で不寛容で否定的〜

そんな男の事。

気がついたら、そのダサい男に成り下がっていた自分に気付きました。

その代償はあまりに大きく、絶望するほどに深くなってしまった溝はあまりに深く。

気がついたら、このままでいたくないと心が叫んでました。

ありのままを受け入れる寛容さと変化を認める寛容さ。

本質が変わらなければ新しい武器はいくつあってもいい。

自信のなさを埋める変化ではなく、ありのままを受け入れる変化。
そして、変わらないまま変わり続けるものへのリスペクト。

そんなしなやかで屈強な男になりたいと、心から思いました。

誰の為ではなく

何かのためではなく

ただ、自分のために

少しずつ実践出来るようになってきたので、少しだけ気持ちを吐き出しました。

一朝一夕でできることではないので。

牛の歩みで一歩ずつ。

元々が大器晩成。慌てるような事はせず、焦りを感じても地に足をつけて。一歩ずつ。
一艘飛びもいいけど、ただ目の前のものを積み上げる日々だって構わない。

そんな想いを持って、今、生きてます。

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