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成功と失敗と

過日、同僚に退職の旨を伝えた。
本当の退職理由は至って自分勝手なものだけど(人間関係が本当に合わなかった上に職場が小さく無視できない)、辞められないかも知れない不安から真実ではないことを退職理由として伝えた。

その同僚は人材派遣の会社で優秀な成績を納め独立起業し、その後飲食業も成功させて実家の家業を継ぐため全ての事業を売却しアルバイトでこの会社にいる。
お国からの支援金等をもらうため稼ぎを増やしたくないらしい。多分、間違いなく優秀な人。

その方が、僕にこう言ってくれた。

『鹿島さんの今までの人生って失敗だったじゃないですか。そうですよね?』

身の上話は多少したことがある。情けない話もカッコ悪い話もした。
山あり谷ありの人生だったし裕福な生活を送ってきた訳でもない。会社で優秀な成績を納めた事もないし起業した事もない。

そんな僕の人生は『失敗』だったのだろうか。

絶句して曖昧な笑顔であやふやに返した気がする。正直この時のことはあまり思い出したくない。

母と同居している。御年73歳。酒を飲んで口を開けば『私はもう長くないから』『あんたより先に死ぬんだから』そんな事ばかり口にする。

同居と言えば聞こえはいいけど、実際の所はアラフォー男子が実家にご厄介になっている構図だ。ありがとう。
そんな母は銀座のママとして働き女手1つで僕達を育ててくれた。(姉がいます)
自慢の母だ。
その母に上記の事を話した。多分、同情されたくて。

『うん、確かにその通りだと思うよ。』

俺の人生は、育ててくれた母をして『失敗』だったのだ。

あ、母もそう思うのか。そっかわかった。

その場を離れた。

不思議と苦しいとか辛いとかはなかった。
ただ、腹立たしかった。

冷静に考えると腹を立てたのは、同意してもらえなかった事、他人に機嫌を取ってもらおうとした事、それが叶わなかった事、この辺りが理由な気がする。これはお門違いも甚だしいと反省した。自分の機嫌は自分で取れ。はい。

同時に、同僚と母が言った『失敗』、そして2人の考える『成功』とはなんなのかが気になった。
そして、もしかすると俺自身も無意識の内によくわからない『成功』と『失敗』を生み出していて、そのよくわからないものに飲まれて生きていたのではないか。そんな事を考えるようになった。

これがこの1週間の出来事。

自分の中にあった『成功』と『失敗』を言語化するならこういうことかと思う。

『成功』の正体。
→「お金を稼ぐ事」、「期待に応える事」、「有名になる事」、「人から賞賛される事」

『失敗』の正体。
→「お金がない」、「期待を裏切る」、「無名」、「人に賞賛されていない」

つまり、成功していない=全て失敗。
型が決まってるからそこから外れられないし、外れた時点で失敗。
こうして生きていた自覚はある。いつも自分で自分を追い込んでいた。

ここまで考えると別の疑問に辿り着く。

『果たして成功は幸せと言えるのか』

上記の考えしかなかった時の自分は間違いなく幸せではなかった。否。幸せを感じにくかった。

僕は昔から幸せになりたかった。
そして、今とても幸せである。有り難い。

しかしそれは社会的・他人的視点から見ると『失敗』している事になるらしい。
と言う事は、もしかすると上の2人の言う『成功』=『幸せ』なのかも知れない。
そうであれば僕に浴びせたあの一言はこう言いかえられる。

『私の考える幸せから外れているあなたは今まで不幸だったじゃないですか。そうですよね?』
『私もあなたが幸せではないと思っているわ』

きっと、どちらも僕の身を案じたからこそ出た言葉なんだと思う。

もう本人達にこの事を掘り返して何かをいう気にはならないから、ここで2人の問いに対するアンサーを返しこの話を終わりにしようと思います。

『うるせぇ。俺の幸せは俺が決めるわ。』

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