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【廃線散歩】2.国鉄下河原線

廃線散歩シリーズ第2回は国鉄下河原線
国鉄(日本国有鉄道)というのは民営化してJRになる前の組織名なので、大雑把にJRと考えて差し支えないですが、民営化前に廃線となったので国鉄と表記させていただきます。


今回は、JR中央線・武蔵野線の西国分寺駅からスタートです!

中央線ホームの端から見えるJR東日本

下河原線の全体図は以下です。※今昔マップより作成

昔の地図
現在の地図。黄色部分が廃線跡

3度復活という数奇な運命を辿る下河原線

まずは下河原線について説明しましょう。もう知ってるよって方はこの章をすっ飛ばしてもらって構いません。
サブタイトルに書かせていただいた通り、この路線は最初の専用線時代から数えると、3度も復活するという面白い経歴を持っています。

作成した年表のスクショなので画質悪くてすみません

元々は多摩川の砂利を運ぶため、東京砂利鉄道(株)が免許を取得した専用線でした。府中で最初に走った鉄道ということになりますが、旅客営業は行なっていません。
ちなみに砂利と言ったら、廃線散歩シリーズ第1回で紹介した西武安比奈線も敷設理由は砂利採取でした。当時、川砂利がどれだけ重要視されていたかが分かりますね。第1回をご覧になってない方はこちらからどうぞ😊

東京砂利鉄道の専用線は、多摩川洪水により営業中止となりますが、軍用鉄道として1度目の復活を遂げます。時代が後押ししたんですね。
その後、鉄道省に買収され、中央本線貨物支線として砂利運搬に復帰…と思いきや、1年後に廃止となってしまいます。

13年後、東京競馬場が出来たことにより、旅客輸送が開始されます。区間は国分寺から競馬場までに変わりますが、2度目の復活です。
しかし戦争により不要不急線に指定され、営業停止となります。

戦後、競馬場までの旅客営業が再開されて3度目の復活を遂げます。さらに貨物輸送も復活し、下河原までの全線で再び車両が走り始めました。
ただ、せっかく復活した貨物輸送の行く末に暗雲が垂れ込めます。1964年に多摩川での砂利採取が禁止となったのです。
これは安比奈線が廃止になったきっかけと同じで、川砂利の取り過ぎで橋梁の根本部分が露出したり氾濫の危険が増したりする等の問題が発生したため、禁止令が出されたというわけです。

なお、下河原線の廃線にはもう1つ大きな要因があります。武蔵野線の開業です。某映画では埼玉の横の繋がりを生む希望の星のように描かれていましたが(爆笑しました)、何かが生まれると何かが死んでゆく自然の摂理の如く、下河原線も己の大部分が被る武蔵野線にバトンタッチしたわけです。

廃線散歩に入る前から長文になってしまいすみませんw
こんなに翻弄され続けた路線もなかなか無いのでつい語ってしまいました。
では本題に戻りましょう!

西国分寺駅周辺の痕跡

下河原線は国分寺駅の西、現在の西国分寺駅の手前で中央線から分岐して、弧を描いた後に南進していました。

今昔マップより
今昔マップより。黄色が廃線跡

分岐点~弧を描いて現在の武蔵野線ルートに合流する所までは、実際に跡を辿るのは難しいですが、航空写真で確認すると一部の建物の向きに名残があることが分かります。

Google Mapより。武蔵野線へ合流する手前の建物に名残を感じますね

航空写真で確認した場所へ行ってみましょう。

分岐ポイントは細かく特定できませんでしたが、だいたいオレンジの矢印のように分岐したんだなあと思いを馳せます。
矢印の先は高層ビルになっているため、迂回してビルの反対側へ。

下河原線は写真正面へ延びていきました。
ピンクっぽい色の建物が、上から見ると名残を感じられるやつです

ちなみに、航空写真に載っている「CAFE FRAっと」でご飯を食べたことがありますw お洒落なカフェなのでおすすめですよ!

店員も客も、まさかここが廃線跡付近だとは思うまい…

北府中駅付近の痕跡

北府中駅のやや南までは武蔵野線と被っているため、一駅だけ電車ワープしました。この一駅区間ですが、ぜひ西側の車窓にご注目頂きたいです。

北府中駅から西国分寺方面を見た写真

西国分寺方面から、一本線路が武蔵野線の隣を並行しているのが、車窓からでも分かると思います。これは貨物用の側線なので下河原線そのものではありませんが、路盤は下河原線のものを転用しています。
つまり、下河原線が走っていたらこんな感じで延びていたのね…と強い幻覚を見ることができるというわけです。

府中本町方面を見た写真

側線は写真の先で途切れて、草に覆われた細長い鉄道用地だけになります。
その用地も、武蔵野線が地下に潜る所で途切れます。
その途切れた箇所がこちら↓

廃線みがありますね

ここで北府中以南の今昔マップを確認してみましょう。

上記写真の途切れた箇所はここ。武蔵野線は一旦地下に潜ってそのまま府中本町駅を目指しますが、下河原線は微妙にカーブして真っ直ぐ南下していました

では我々も南下していきましょう。

いかにもな細い道が延びてますが、廃線跡は左側のピンクのビルが建つ土地と思われます

下河原線広場公園

さて、早くも下河原線の見どころポイントに辿り着きますよ!

まるで単式ホームのよう。
ちなみに現役時代、この場所に駅は設置されていませんでした
地面の一部が木製ですが、使われていた枕木でしょうか…
レールは道路手前で途切れますが、その先は遊歩道となり、京王線の高架下をくぐります

下河原緑道

ここから先、終点の下河原駅跡までずっと緑道が続きます。

またレールが!
全て平坦ですが、南武線を跨線橋で越える所だけ坂になってます
ブレブレ南武線
分岐点へ来ました。左側は競馬場前へ向かいます。
競馬場の方は後で辿るとして、今は直進しましょう

ここで今回ラストの今昔マップです。

現在郷土の森になってる辺りでクイッと西へ曲がります
ここが郷土の森付近です。普通の道なら敢えてカーブなんてさせないので、
こういった緩いカーブを見ると廃線みを感じます
何かありました
この辺りに下河原駅があったらしいです

東京競馬場前へ

では先ほどの分岐へ戻り、今度は競馬場の方へ行ってみましょう。

それほど経たずに府中本町駅付近へ出ます
東京競馬場前駅はこの辺りに設置されていました。
武蔵野線が写ってますが、下河原線現役当時は南武線しか横切っていません。乗客は駅から地下道を通って南武線をアンダーパスし、競馬場へ向かっていました
なお、地下道は今もあります
せっかくなので来ました

以上、下河原線を辿る廃線散歩でした!
ちなみに、2023年は武蔵野線開業50周年の記念イヤーでした🎊
言い換えると、下河原線の旅客営業が廃止されて50年が経過したというわけです。我々は半世紀前に存在した鉄路を辿ってきたというわけです。なんだかロマンを感じちゃいますね!

では、今回もお読み頂きありがとうございました!

ハートフルむさしのらいん(とは)


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