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【日記】大事なものができると価値観変わるね

小さいころから運動を避けてきた。

まず走るのが苦手。
幼稚園や小学校の休み時間で、グラウンドにいた記憶はあまりない
たまに調子のってドッジボールとかしてたけど
すぐに強い男子に当てられて外野になってた。
教室でオルガン弾いたり、本を読んでいるほうが好きだった。
圧倒的文系女子。

中学に入ってからも
仲良しグループの私以外全員はバレーボール部に入って
私は演劇部に入った。
演技してるほうが好きだったから。

まあそれはもう
一心不乱な文化的生活の裏で
運動というものがとにかく性に合わない生活を送っていた。

そんな私が、
今ジョギングしている。


どうした私。


きっかけは歌。
ボイトレに通って、
歌は体で歌うものって、思い知らされた。
そして体全部で歌っていると
すぐにへばっちゃって

私の大好きな緑黄色社会の長屋晴子さんは

2時間歌ってもずっと笑顔で
体の奥底からみなぎるエネルギーを
観客ひとりひとりの芯まで届けている。
ただ歌うだけじゃない
言葉を伝えている。
そんな体力がある。

晴子さんみたいになりたい。

そんなことを考えているとふと気づいた一つの法則
「元運動部は、カラオケでだいたい声がデカい。」

運動部ならどんなスポーツでも基本心拍数爆上げで
肺を思いっきり使っている。
あれはもしかしたら、呼吸が関係しているのかもしれない。
なら私も、息を思いっきり吸って思いっきり吐く練習をしてみるか。

ってことで、走り始めた。

初めは、走ってるうちに肋骨が痛くなってびっくりした。
それで気づいた、
私は息を吐いていなかった。
出し切ってゼロになってなくなっちゃうのを恐れて
走っている時でさえ吸ってばかりいて、貯めて貯めて貯めまくって、
肺と肋骨がキャパオーバーしたらしい。ものすごく痛かった。

一度立ち止まって、息を整えて。
今度は息を思いっきり吐くことだけを考えて走ってみる。
思いっきり吐いたら、勝手に体は息を吸う。そうやって走ると
呼吸も体もとても楽になった。
歩いているだけじゃ、歌っているだけじゃ気づけなかった自分の体のこと。

歌でも同じことをしていたような気がする。
自分には肺活量が無いと勝手に思っていた。
だから最低限の力で響かせることばかり気にしていた。
考えればすぐわかることだけど、土台むりな話なのだ。
響きは空気とか風、つまり息がないと届かない。
ユニバの絶叫マシンで上から「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁああああああ!」が聞こえてくるのは、風が吹いているからだ。
歌は息が一番重要だと個人的には思う。

今では週一で4キロくらい。
本気でスポーツしてる人からすれば、おこちゃまみたいな距離と頻度。

それでも私の歌は格段に良くなった。

息を吐き切ることを恐れなくなって
一曲、一フレーズ、一小節、一音。
すべて出し切る。
そういうことを考えながら歌うとメリハリがついた。
「よんぬさん歌がうまい!!」って、軽音サークルの人たちに褒められた。
ふふ、実はジョギングのおかげなんです。
ボーカルガチ勢の私だけの秘密。
ほんの少しだけ、晴子さんに近づけたかもしれない。

歌うために走ることが大事なように
何か一つの行為を完成させるために
必要な別の行為というものがあるらしい。
そして案外、自分の嫌いなことだとしても
それが理想に必要な一要因なら、
人は案外頑張れるものみたい。

苦手だと思っていたのは、
自分の人生には必要ないって、その時割り切っていたから
言い訳にしていたのかもしれない。
だって、今も人混みと騒音とテキーラは苦手だもん。
人生に必要ないから。

それがとたんに自分の人生に関わるとなると
苦手なんて言ってられなくなった。

だから苦手って思ってるうちは
それ相応の距離でそいつと接すとか、思い切って離れるとかしたほうがいいけど
もしそれが人生で必要なら
行動に移したほうがいいね。
きっと素敵な未来になるよ。