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ネットコミュニケーションの限界

自治寮長、企業での長期インターンシップ。僕は大学3年生と並行して、これらを掛け持ちしています。なので暇な時間があっても自動的にどれかに割り振られるのです。

だから基本的に僕はいつも時間が無くて困っています。時間に追われて生きています。って言うてもこうやってnote書いたりできる時間があるんですけどね。最近時間の使い方がめっちゃ下手だなーって痛感する毎日です。そんなことはどうでもよくて...

さて、僕は転編入学生として去年ICUにやってきました。両親や姉、周りの人間に頭を下げてまでこの大学にやってきた理由の一つとして、大学理念への共感がありました。っていうか今もあるんです。

弊学の入学試験でもたびたび出てくる「対話」の重要性。対話を通して実現できる他者との知の交流や他者と対話することで一緒に真理を導くということを大事にしている大学の姿勢に惹かれました。

あまりよくない意味で、僕が以前在学していた大学は大学というより高校の延長みたいな感じだったので。自分で考え、それを出していくと周りから反応が返ってくる。そういう環境にあこがれていました。

で、僕は入学と同時に寮に入って以来、色んな人たちと対話を行っています。特にICUは今まで接することのなかった、とても鋭い人がたくさんいるし、そういう人たちと色んなことについて対話をすることで、去年よりは思考力も深まったと確信しているのです。最近は地元の友人ともそういう対話の場を持つようになってきました。

そんな感じで対話を意識して生きてるわけなのですが、なにせ忙しいから無駄なやりとりはできるだけ省きたいのです。時間を有効に使いたいから無駄な時間1秒たりともとられたくないし、議論もある程度LINEやSlackでできる。なんでもかんでもオンラインでやり取りしたほうが効率ええんちゃいますのって思ってました。

自分の可処分時間をしょうもないことで減らしたくなかったのです。

そこで周りの人には、何かあったらできるだけオンライン、特にテキストメッセージで送ってください。と言うようにしました。

これ堀江貴文氏が本に書いてたんです。「電話とかお互い時間合わせなあかんから無駄やし、無駄な会議とかも全部LINEで済ませるべきだ!」って。

賛否両論あると思いますが、この考え、僕は感化されて、家族とか大事な人以外からかかってくる電話は絶対に出ないようになりました。

ただ、そうやって全部オンラインでええやんってやってると弊害が生じてくるのです。

一個一個のやりとりで無駄にイラつく。

文字だけやったら無機質な感じがするからなんかな。とか思ったんですけどそこからもう少し考えて思ったのは、用件をテキストに簡略化することで無意識的に言葉を省いたりしてしまいがちになってしまいます。

お互い自分の裁量で言葉を選ぶから相手にとって必要な情報はなにかをあまり考えないままやり取りしてしまうのです。

その抜け落ちた部分が原因で誤解が生じたり、余計手間かかってイライラしたりするのではないかと。顔が見えない分、感情的になってしまうんですね。

そういうオンラインで抜け落ちる部分を我々は相手の表情や仕草から読み取って補っているのでは?と。

だから直接話したほうがスムーズに、お互い快くやりとりできるよな。ってところで一応落ち着きました。

要は、なんでもかんでもオンラインでやりとりしたら逆にしんどくなること、あるよねってことです。

特に議論をLINEでやってたら途中からケンカみたいなって一生終わらないですし、みんなイライラするだけってことを実感しました。

人の感情って他人に移ってくもんです。どっちかイライラしだしたら高確率でもう片方もイライラする。こういう経験、たぶん皆さんもありますよね?

話題の重要性や話し合う問題の根深さを冷静に分析して、それぞれ場面に応じて使い分けるべきやなって思いました。

YesかNoで答えが出る問題ならオンラインでうまくいくけど、色んな選択肢があるときはそれぞれ準備してきた上で直接顔を合わせて議論するべき。というのは僕の経験上思います。

だから、リモートワークとかも限界あるんちゃうかなって思います。クラウドワークスとかで仕事発注したりしてると、たまに的外れな質問が来たり、意味分かんないこと言うてくる人多い気がしますし。。。

人間ってか、少なくとも自分はそんな合理的にはできてなかったなーという気付きでした。

おしまい

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