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追悼ヤンソンス~ミュンヘンでの思い出とともに~

 指揮者マリス・ヤンソンスの訃報に接した。ラトヴィア出身の指揮者、享年76歳。私は残念ながら彼の指揮をライヴで聴いたこともなく、CDでもさほど聴いていない。聴いてみたい指揮者では在り続けたが、ここのところ体調不良の報を聞くことが多く心配していた矢先だった。
 そんなわけで、追悼文を書くほどの繋がりは何も無かったのだが、数ヶ月前に故ヤンソンスの素敵なエピソードを知って益々聴きたいな…と思ったことがあり、noteを開いた。

バイエルンでのニアミス

 2019年10月、ミュンヘンの宮殿(レジデンツ)内ヘラクレス・ザールで私はバイエルン放送響を聴いた。バイエルン放送響と言えばヤンソンスが首席指揮者を務める楽団だ。しかし私が聴いた演奏会の指揮者はリッカルド・ムーティ。ヤンソンスとはニアミス。遂に聴けずじまいになってしまった…。
(※冒頭に置いた写真はヘラクレスザールの外観)

バイエルン放送響とヤンソンス

 ヤンソンスは2003年にバイエルン放送響の首席指揮者に就任した。16年の長きに亘るオーケストラと指揮者の関係性はなかなか稀有なものだと思う。ヤンソンスはこの間、世界的指揮者としての声望を益々高めており、ウィーン・フィルやベルリン・フィル等世界最高級のオーケストラからの客演依頼も多かった。
 そして、ベルリン・フィルからは常任指揮者への就任依頼が有ったようだ。サイモン・ラトル退任に伴うもので、2015年のことだ。ベルリン・フィルと言えば我々クラシック音楽ファンからすれば垂涎の最高級オーケストラだ。普通に考えれば二つ返事で快諾、となりそうなところだがヤンソンスはそれを断ったのだった。池田卓夫さんによる素晴らしい記事が以下にあるので参照頂きたい。

 記事にもあるとおり、ヤンソンスはバイエルン放送響の実力にふさわしい新ホールの建設のために長年に亘り熱心な運動を続けてきた。バイエルン放送響が本拠地とするミュンヘンの宮殿(レジデンツ)内にあるヘラクレスザールは戦争によって破壊し尽くされたミュンヘンにおいて戦後に間に合わせで作られたものだそうだ。実際聴いた私の感想としても、雰囲気もいいし、音響も悪くはなかったのだが、音楽専用ホールでもなく、クロークも無ければ、座席への導線も悪く、席も平坦なため後ろにいる管楽器奏者はよく見えないし…というもの。
 オーケストラからしてみても、多分楽屋等も不充分であったろうし、そもそも客席数が1270とだいぶ少ないとのことで、採算を合わせるのが大変だったという。

 そんな事から専用ホールの建設はバイエルン放送響の宿願であったのであり、それを実現化したのがヤンソンスであった。遂に新ホールには来年2020年には移れるという段階まで来ていた。こけら落としを振ることをヤンソンスは励みにして体調の回復に努めていただろうし、楽団員・ファンもそう願っていた事と思う。残念ながらヤンソンスの命脈が僅かに足りなかった…。

ミュンヘンとベルリンは歴史的に犬猿の仲であり、ライヴァル関係。前掲記事にも

バイエルン王家がベルリンを首都とするプロイセン主導で進んだ19世紀末のドイツ統一に最後まで抵抗、20世紀に入って加わった経緯を背景に、ミュンヘンとベルリンの間には長く「犬猿の仲」に等しい対抗意識が存在する。

とある通りだし、音楽の世界でもミュンヘンからすれば、実力は変わらないのに商売上手なベルリンめ、と思っていただろう。長年様々な機会で煮え湯を飲まされて来た。直近の例でも、ヤンソンスが断ったベルリン・フィルの首席指揮者に就いたペトレンコはバイエルン州立歌劇場の音楽総監督を辞めてベルリンに行くことになった。

ペトレンコが悪いわけではない。指揮者の世界では当たり前の事だ。しかしそんな中でヤンソンスは

自分がベルリンに去れば、せっかく議論を重ねてきたホールの問題が立ち消えになる。信頼関係を損ねることはできない

と考えてバイエルン放送響に残ったと言うのだ。なんという誠実な人柄だろう。そのような人が紡ぐ音楽に立ち会ってみたかった…。今はただ冥福を祈るのみ。合掌。

追記:ヤンソンスとバイエルン放送響の暖かな関係

 ヤンソンスの誕生日を祝う楽団員たちの動画。ヤンソンスと楽団員、市民ファンの暖かな関係性が素敵。ヤンソンスの笑顔がたまらなくいい。この会場こそ、レジデンツにあるヘラクレス・ザール。ここでヤンソンス指揮のバイエルン放送響を聴きたかったな…。


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