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チリ人の父の元に生まれたアナ・カルラ・マーザ、チェロで弾き語る「新しい歌」

Bandcampというアプリにハマっている。このアプリ、音楽のジャンル分けが秀逸で、ジャンル毎に検索するアルバムのジャケットがずらりと並ぶ。私のようにLPレコードを購入していた世代には「ジャケ買い」ができる仕組みだ。もちろん回数に制限があるが試聴も可能だ。気に入った楽曲はデジタル音源、CD、アナログレコードから購入できる。

ジャケットに一目惚れして、最近ポチッとしたのがアナ・カルラ・マーザだ。ラテン・ジャズに分類されていたが、彼女はなんとチェロを文字通りつま弾いて歌をうたう。従来のジャズとかラテンとかボサノバなどの型にハマらないうたいっぷりに惚れてしまった。

彼女のバイオグラフィーをのぞいてみると、現在彼女は主にバロセロナで活躍しているようだが、生まれはキューバでピアニストの「チリ人」の父とギタリストのキューバ人の母の間に生まれた26歳とある。そして彼の父方の祖父は元チリ・アジェンデ政権の活動家だったため、1973年のチリ・クーデタの後、2年間投獄ののち、フランスに渡り、その後1980年にキューバに移住したというのだ。

ちょうどJared Diamond "Upheaval"(邦題:危機と人類)を読んだところで、彼の本に1973年のチリでおきたアジェンデ政権をクーデターで倒したピノチェトとそのクーデター後のチリの様子が描かれていた。

1970年、世界ではじめてマルクス主義者の大統領がチリの選挙で当選した。大統領の名はサルバドール・アジェンデ。彼は米国資本に握られていた銅山やITT子会社の電信電話会社を国有化し、労働者向けの所得再分配政策をとった。チリが前例となり南米に「社会主義」国が続くことを恐れた米国は同国に対して露骨な金融封鎖と援助の打ち切り、CIAを通じてアジェンデに反対する野党へ資金提供を行い、反アジェンデの露骨なメディア攻撃がしかけた。おまけに通貨発行量が増えたおかげでインフレが亢進し、1972年には経済的な危機を迎え、国民の間に反アジェンデの機運が高まっていた。

1973年、ピノチェトは軍部によるクーデターを起こし、アジェンデのいるモネダ宮を攻撃、彼を自殺に追い込み、権力を掌握した。クーデタ直後の10日間だけでも左翼とされる数千名もの人々を拷問の末、虐殺した。1976年までに13万人が逮捕され、そのうち数千名は殺されるか「行方不明」となった。海外に亡命したものも10万人を超えた。

つまりアナの祖父は海外に亡命したチリ人の一人なのだ。亡命先は他の南米諸国や米国、欧州だった。チリの秘密警察DINAは第三国に亡命した前政権の要人たちを暗殺までしたので、亡命者たちは亡命国を転々とせざるをえなかったのだろう。

アナの父親、カルロ・マーザは1975年チリのラウタウロという街に生まれた。両親と共にチリを逃れ、フランスを経てキューバに渡った。カルロはハバナの東、グアナバコアの音楽院で音楽を学ぶ。音楽の才能があったのだろう、10代にして1990年、91年のハバナ国際ジャズ祭で演奏もしている。17歳でアルバムを作成、以来14以上のタイトルを発表している。ピアノのほか、ギター、マプーチェ族のピフィルカフルートを演奏し、作曲も行う。ジャズやクラシカルなものから、南米ラテン音楽までジャンルは幅広い。2000年代には活動場所をフランスとし、活躍している。

カルロ・マーザはチリの先住民マプーチェ族の末裔であることを誇りにしているようだ。マプーチェ族とはチリとアルゼンチンにまたがるパタゴニア地方にスペインが南米への侵略を開始した500年余り前から征服者の支配にあらがい、同化を拒み続けた抵抗の民だ。チリだけで60万人のマプチェ族がいる。ピノチェト時代には迫害を受け、民主化後も反テロリスト法に基づいて彼らの抵抗活動はテロ活動とされている。

チリの先住民であることを誇りにするカルロ・マーザは名前をマプーチェ族の名前、Newen Tahiel(自由人のエナジー)を名乗り、ギターを片手に歌をうたっている。次の歌はカルロの「A Los grandes(偉人に)」という歌だ。

冒頭「偉人」としてあげられているのが、ガンジー、ジョン・レノン、ルーサー・キング、ベートーベン、ボブ・マーリー、キャパ、ボリバル、ホーチミンと続く。彼が偉人として尊敬する人の名を脈略なくあげている。チリの偉人のたち、大統領のアジェンデ、歌手のビクトル・ハラ、ビオレタ・パラの名前もある。

ビクトルハラはチリのヌエバカンシオンの旗手として広く知られている歌手だ。アジェンデ政権を支援した彼は、1973年のチリのクーデターではピノチェトの軍隊により逮捕され、スタジアムで虐殺された。アジェンデがチリ大統領となった後に作られたアルバムの表題曲である「平和に生きる権利」ではホーチミンとベトナムが歌われている。ベトナム戦争中のベトナムの人々に贈られた歌だ。

ビオレタ・パラはチリのヌエバカンシオンの創始といわれる歌手だ。彼女は1950年〜60年代のチリで活躍し、チリの民衆の歌を記録し、それを持ち歌にして歌った。彼女もチリの左翼運動を支援した。パリのルーブル美術館での公演をはじめ世界で歌をうたった。だが1967年に自殺。彼女が死ぬ直前につくった歌、それが”Gracias a la vida”だ。

チェロの弾き語りをするアナは8歳にしてチェロを弾き始め、13歳にしてすでに父のカルロと共にステージにたったという。その後、パリに移り、音楽院でチェロを学び、欧州でのソロでの音楽活動を開始した。しかしチェロ奏者でありながら、同時にチェロを抱くようにして弦をつまびき歌をうたう。その歌いっぷりは父譲りのダイナミックさがある。そして彼の祖父と父から受け継いだチリのヌエバカンシオンの息吹を彼女のうたに感じないわけにはいかない。

新妻東一=文

<参考文献>
・Jared Diamond "Upheaval"
・Joan Jarra “A Unfinshed Song”
・安藤慶一「アメリカのチリ・クーデター: 民主マルクス主義を蹂躙した資本テロの内幕」
・八木啓代「禁じられた歌〜ビクトルハラはなぜ死んだか」

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