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【無料公開】なぜ「社会的な役割をもちつづけてもらう支援」が重要なのか(前編)

こちらは、僕が医師としてこの10年間講演してきた内容をまとめた『がんになった人のそばで、わたしたちにできること』の一部を、出版した中央法規さんのご厚意でチャリティーとして無料公開します。良ければ、書籍の購入やご寄付をお願い申し上げます。

みなさん、こんにちは。

今日は、このシリーズのなかでも特に重要な概念である「3種類の死」についてお話ししていきますね。

今回の話を聞けば、緩和ケアが診察室や病棟、また、介護施設や在宅だけではなく、地域全体に広がっていくことの重要性が理解できるかと思います。

3種類の死

一般的に「死」という概念を扱うとき、多くの人は「肉体的な死」を真っ先に思い浮かべるでしょう。呼吸が止まり、心臓が止まり、脳の機能が停止し、全身の細胞が不可逆的に機能を停止することが、「肉体的な死」です。

しかし、患者さんたちが辿る経過をよくよく観察していると、実際には「肉体的な死」の前に「精神的な死」、そしてその前には「社会的な死」があることがわかります。それがどういうことか、具体的な経過で見てみましょう。

老いを迎えたときや、病を得てそれが進行したときに、人はそれまで100%のパフォーマンスを発揮して全うしてきたことが、70%とか80%くらいしかこなせなくなってきます。そのときに患者さんは、周囲の社会から、「あの人も老いたから」「病気になったから仕方ないね」とレッテルを貼られていき、結果として患者さんがそれまで人生で培ってきた「○○社員としての自分」「○○が趣味の自分」は次第に「老いた自分」「病人の自分」のラベルに侵食されていきます。しまいには、「父親としての自分」「妻としての自分」など、家族のなかでの役割すら失われ、患者さんがもっていたさまざまな社会的役割は、「病人としての顔」としての一色に塗りつぶされてしまい、それは「社会的な死」につながっていきます。そして、24時間「病人としての顔」で他人から守られる、または依存せざるを得ない役割のみとされた患者さんは、次第に「自分はもうこの世に生きている意味がないのではないか」「周囲の迷惑になるだけの存在なのではないか」と考えるようになり、その状態が長く続くことでいずれ心が折れ、「もう死なせてほしい」と周囲に漏らす「精神的な死」を迎えます。その後に肉体的な死が訪れるまで、人によっては生き地獄としかいえない時間が続くことになるのです(図表03-1)。


この「3種類の死」をなくすことは、残念ながらできません。肉体的な死が近づくにつれて社会的な役割が失われ、心が折れてしまうことを完璧に避ける方法はないということです。もちろん、その最期の時まで社会的な役割を失わず、精神的にも満足を保ちながら肉体的な死を迎える方もいることは事実です。しかしそれは、その方の周囲の環境や病状の経過、本人の死生観に加え、運の要素によっても左右されることですので、すべての患者さんがそういった理想的な最期を迎えられるわけではないのです。

それであれば、僕たちがとるべき手段は、その社会的な死を肉体的な死とできる限り近づけて、苦痛を感じてしまう時間を短くすることが最善です。

それを実行するためには、社会的な死が始まる前の時期に、僕らが、もしくは社会システムが、患者さんの人生にかかわり、その社会的な死をできる限り後ろにもっていくことが必要になります(図表03-2)。そして、そのためにはなるべく病気の早期、つまり「社会的な死」が訪れる前から、患者さんとかかわっていかなければならないこともわかるでしょう(図表03-3)。


ではここで、患者さんに早期からかかわっていく、さらに、地域全体を通して緩和ケアを行っていくという、最新の考え方についてお話ししていきます。

早期からの緩和ケア

もともと「緩和ケア」といえば、その人生の最期の時間をホスピスなどで過ごし、モルヒネなどを用いて苦痛を取り除きながら安らかに死を迎える……といったイメージが広まっていました。もちろん現在も、それは緩和ケアがもつ機能のひとつではあります。しかし最近では、「早期からの緩和ケア」として、がんなどの疾患に罹患した当初から専門的緩和ケアのアプローチを検討することは、当然のことと捉えられています。

2002年に発表された世界保健機関(WHO)による緩和ケアの定義を示した文章では、「生命を脅かす疾患による問題に直面している患者とその家族に対して、痛みやその他の身体的問題、心理社会的問題、スピリチュアルな問題を早期に発見し、的確なアセスメントと対処を行うことによって、苦しみを予防し、和らげることで、生活の質(Quality of Life:QOL)を改善するアプローチ」というように、「早期」から苦痛を「予防」することがうたわれています。

早期からの緩和ケアの有用性を世界に強く印象づけたのは、2010年にアメリカの緩和ケア医であるTemelらが発表したランダム化比較試験です(1。
この試験では、転移のある非小細胞性肺がんと新規に診断された患者151名が、標準治療群(患者本人や家族、腫瘍内科医の要望があったときに緩和ケアチームがかかわる)と、早期緩和ケア群(診断後早期から緩和ケアチームがかかわり、その後も定期的にケアを受ける)にランダムに振り分けられ、その後のQOLや不安・抑うつ、生存期間が比較検証されました。その結果、早期緩和ケア群では、QOLや抑うつの改善だけではなく、生存期間も延長を示したことで、世界中の注目を集めたのです。
その後、多くの追試が行われ、生存期間に関する結果はさまざまだったのですが、それらの追試の結果も合わせて解析した研究では、生存期間についても早期から緩和ケアを受けたほうが延長するのではないか、という結果になっています。少なくとも、QOLの改善や症状の緩和については有利に働くだろうということで、全世界的に早期から緩和ケアが入っていくほうが有利であるとの結論になっています(2。

「緩和ケア」なんて言葉は聞きたくない

しかし、日本だけではなく世界的に、「緩和ケア」という言葉は忌避される傾向にあります。これは、患者さんや家族だけではなく、福祉職や医療者も、ですが、「緩和ケア=死」というイメージがいまだにあるのですよね。日本においても、20年くらい前は「緩和ケアの病棟に行きましょう」っていうのはつまり、「死が近いです」と同義だったのは確かです。なので、そのイメージがいまだに残ってしまっているのですよね。

ただ、先ほどからお話ししているとおり、いまの時代は緩和ケアが病気の早期からかかわっていくのが当然となってきています。それでも、患者さんや家族、福祉職や医療者がもっているネガティブなイメージが払拭できないとしたら……どうしたらよいでしょう。

もちろん、「緩和ケアは早期から入っていくのがいまのトレンドなんですよー」と、世間に対して広く啓発活動を行っていくことも重要です。そういった活動によって、もしかしたら20年後くらいには、「早期からの緩和ケア」が当たり前の社会になっているかもしれませんね。でも、それが当たり前になるのを待っていては、いま苦しんでいる人たちは救われませんよね。先ほどお話しした、「社会的な死」から始まる3種類の死によって長く苦しむコースに乗ってしまうということです。

そこで僕たちが考えたのは、「緩和ケアという言葉を使わずに、まちなかで緩和ケアをする仕組み」だったのです。多くの人たちは、「緩和ケア」という響きに死のイメージを重ねて忌避するわけですよね? しかも、「病院」という場もまた、患者さんや家族にとっては非日常であって、そこに行くこと自体のハードルが高いし、またそのような場では、治療や検査の話はできたとしても、患者さん本人の生きがいやこれまでの人生の話、また言葉にできないようなモヤモヤした苦しみ……といった話はなかなかできないものです。ある研究者は、「人間の苦しみのうち、診察室のなかで解決できるものは5%に過ぎない。あとの95%はすべて生活のなかにある」と言い切っています。
だとしたら、まちのなか、つまりは患者さんたちの生活の場に僕ら医療者が出ていって、「緩和ケア」の看板を掲げなくても実質的に緩和ケアを実践できる場をつくればよいのではないかと考えたのです。それが、僕らが2017年から開催している「暮らしの保健室」の取り組みです(写真)。

暮らしの保健室とは、学校のなかにある保健室のように、まちなかでふらっと誰しもが立ち寄ることができ、おしゃべりしたりコーヒーを飲んだりしながら、医療者と語れるカフェのような場所。看護師の秋山正子さんが新宿で最初に立ち上げ、いまではその理念に共感した多くの方が、全国各地に暮らしの保健室を開設しています。

暮らしの保健室のいいところは、「相談はしてもしなくてもいい」というところ。これが「相談所」と銘打っていたら、来る人にしてみれば「何か相談ごとを整理していかなければならない」と感じるかもしれません。そうすると、「いまはまだ行かなくてもいいや」と、その心のなかにあるモヤモヤを押し込めてしまうかもしれません。だからできる限りハードルを下げ、いつでも立ち寄って座っていっていいんですよ、とする保健室が果たす役割は大きいのです。

実際、暮らしの保健室に来た方で、最初は「自分だけがどうしてこんなに苦しい思いをしなければならないのか」と言っていたがん患者さんが、同じような病気を経験したボランティアさんや、たまたまそのとき隣でお茶を飲んでいた利用者さんと話しているうちに、「つらい思いをしていたのは自分だけではないんだ」と気づいて励まされ、ひきこもりが解消した例もあります。その方はその後、暮らしの保健室が紹介したボランティア活動やアートイベントなどに参加するようになり、すっかり元気になった、という例もあったんです。

(後編に続く)

参考文献
1 Temel JS, et al. Early palliative care for patients with metastatic non-small-cell lung cancer. N Engl J Med. 2010; 363: 733-42.
2 Fulton JJ, et al. Integrated outpatient palliative care for patients with advanced cancer: A systematic review and meta-analysis. Palliat Med. 2019; 33: 123-34.

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