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「よく眠った日に、飴細工の屋台の前で遠くにいる人の背中を見ていた話」

谷水春声さんはよく眠った日に、飴細工の屋台の前で遠くにいる人の背中を見ていた話をしてください。
#さみしいなにかをかく
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 別れ話をする日なのに不思議と頭はすっきりしていて、私は十時間寝たことを少しだけ後悔した。本当ならもっと寝不足で、目の下には隈があって頬が痩けていて悲愴感に満ち溢れているべきだというのに。
 朝にはご飯と味噌汁と昨日の残りの筑前煮をきっちり食べて、お気に入りのワンピースを身に纏って、ちょっとだけ気合の入ったメイクをして、そして家を出た。
 まるで初デートを控えた日のように。
「どうにか、ならないのか」
 ベンチで隣に腰掛けた彼が寂しげにぽつりと呟いた。
「うん」
 私はどこか遠くを見ているふりをしながら答える。
 大体、何で縁日をしている神社で別れ話をしなければならないのだろうか。そういう場所選びのセンスが駄目なんだよ、そういうところだよ、おい分かってんのか。と、折角なので吐き出しておこうともしたけれど、やめた。
 この先私と彼の人生が交わることはないだろう。
 彼の場所選びのセンスのなさをどうにか出来るのは未来の彼女だけだ。
 道を挟んだ私たちの前には昔ながらの飴細工の屋台があって、実演に子どもが群がって歓声をあげていた。昔ながらなのかどうかは知らないけど。私が幼少のみぎりにはたこ焼きやわた飴、プラスチックのお面、射的などがあったけれど、飴細工は寧ろ大人になってからしか見たことがない。懐かしの、みたいな触れ込みで、仰々しいショッピングモールに昭和レトロ風の飴細工の店が入っていたりする。
 で、何の話だったっけ。
 ああそうだ、別れ話だった。
 飴細工の職人が何かのゲームにでも出てきそうなドラゴンを作り上げたところで拍手が起こった。彼は無言でその様子に魅入っているようだったが、徐ろに立ち上がると私を覚束ない視線で捉えた。
「ちょっと、待ってて」
 そう言って、私の返答を待たずに飴細工の屋台へと歩んでいく。
 私は溜め息を吐いて、子どもを掻き分け何かを注文している彼の背を見遣った。道と一つ挟んでいるだけなのに、どうしてだか遠く感じられる。
 彼は職人が手際良く飴を伸ばしている様子を熱心に眺めている。
 もう帰ろうかな。
 暇を持て余した私は立ち上がる。だって彼が作らせているの、どうせ指輪だし。
 終わったと思った瞬間が恋の終わりらしいので、この話も終わり。続くとしたら、他の誰かと出会った時だ。きっと。

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