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就活生よ、たくましくあれ

 知識をベースとしたコミュニケーションはコミュニケーションだろうか?
 自分もその一人なので卑下するつもりは毛頭ないが、何かのマニア同士の会話を思い出して欲しい。そこでは知識の凄まじい応酬が起きている。しかもそこでは知識の交換というよりも、知識の披露やお互いに知っている知識の再確認が行われている。
 そうしたやり取りは、どちらかといえば一方通行だ。しかも感情は動かない。意見交換に見えて意見交換ではない。交流と言えば交流だがテーマは限定的だ。

 コロナ禍に大学入学した学生たちの就職活動が本格化との報道の中で、授業が全てオンラインだったのでコミニュケーションに不安があると言うようなことが言われていた。
 知らない人と対面で交流することの難しさの原因を全て授業のオンライン化のせいにするのは違うと思うが、学生たちがコミニュケーションに悩みを抱えていることには変わりない。
 人間と人間の交流は単なる知識の交換だけではない。だから知識量は関係無い。むしろあなたが誰なのかが問われる。それは、学生時代に何をやったのかとも違う。学生時代の経験であなたが何を経験したのかでもない。経験を通じてあなたがどう成長したのかでもない。
 重要なのは今のあなたが何者なのかということと、そのあなたは今後どうなる計画なのかだ。つまり、あなたがどう生きて、どう生きようとしている人間なのか。
 それを言葉で説明することは出来ない。だから面接官はあらゆる質問への対応を通じてあなたを知ろうとする。

 だから、面接での質疑応答が情報のやり取りの場だと思うと見誤る事になる。
 それはあなたが企業側にする質問も同様だ。
 研修はどうなってますか、残業はありますか、転勤はどうですか、この仕事のやりがいは何ですか、給与は幾らですか。
 知りたいであろうという気持ちは分からなくもない。しかし私が面接官なら、そのような質問をする人を採用しようとは思わない。熱心に情報を集めようとしているつもりかもしれないが、むしろ、あなたはその程度の人なのですねと思われるだけだ。

 何を聞かれるか分からず不安。何を話せば良いのか分からない。そもそも就職活動はしているが自分が何をしたいのか分からない。多くの人はそう思っているかも知れない。
 そんなものだ。コロナ禍に始まったことではない。モラトリアム人間をそのままに採用して育てるのが日本企業であり日本の就職活動だった。それとセットで終身雇用と転勤が付いてきた。

 しかし既に終身雇用や転勤という風習が崩れていっている中で、就活生だけが何をしたいか分かりませんと言っていて良いのだろうか。社会に役立つような事の何ができるか分からずに社会人になってどうするのだろうか。会社に入ってまで教えてもらうことばかり気にしている人がこれからの社会を作っていけるのだろうか。
 世界がグローバル化している今、昭和の就職観はいつまでも通用しない。

 だから、知識を垂れ流すだけの表面的なコミニュケーションから脱却して、新しい世界を切り拓くための実用的なコミニュケーションとは何か、どうしたらそのようなコミニュケーションが実現できるのか考えた方が良い。
 コロナのせいで、とひ弱・・なことを言っているようでは、とても世界とは戦えない。

おわり

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