見出し画像

AIとお豆腐屋さん

 AIが普及して多くの仕事がなくなるという。
 これは特段騒ぎ立てることではなく、これまでも歴史の中で消えていった仕事や生まれてきた仕事は多くあった。仕事が社会の需要と連動したものであるからには、当たり前のことなのだ。だから、今ある多くの仕事がなくなるからといって、近い将来に人が働かなくて良くなるということではない。そんな未来は恐らくやってこない。
 技術や経済や社会に大きな変革がある場合には、変化が一気に起きるので時代の変化に追いつこうにも追いつけない、気づいたときには遅いというようなことが起きるのは致し方ない。たまたまそういう職業に就いていたという人にとっては人生の一大事になるはずだ。
 けれど、そいういうものなのだ。


 私が幼少の頃に過ごし、曲折を経て再び今も住んでいるこの町には、その昔、小さな商店街があった。40年も前のことだ。
 その商店街のほど近くに、ぽつんと一軒だけお豆腐屋さんがあった。夫婦ふたりと娘さんの3人で営む小さなお豆腐屋さんだった。
 商店街にも豆腐を売っている店があったが、私は母にお使いを頼まれて、よくそのお豆腐屋さんに行った。

 入口の開き扉を開けると、登校時に垣間見た湯気と活気で溢れていた店内は静まりかえり、きれいに清掃が終わったばかりのコンクリートの床にはところどころ水溜りがあった。澄んだ空気に少しだけ大豆の香りが漂っていた。
 右に浴槽ほどの大きなステンレスの水槽が2つ並んでいた。水槽の中を覗くと、今日出来たばかりの白い大きな塊が、透き通ってゆらゆらと動く水面の底に沈んで買い求められるのを大人しく待っていた。

 私が店に入ると、前掛けをして白い長靴を履いた初老の店主が店の奥の居宅から出てきて、はい、いらっしゃい、と、しわがれた小さな声で言う。
「絹豆腐を一丁ください」
 私はポケットから百円玉を出しながら店主に向かって言う。
 店主はうなづくと、右腕をまくって水槽の冷たそうな水にすっと手を差し込む。すでに切れ目の入った白い大きな塊に音もなく近づくと、これ以上ないというくらい優しい手付きで器用に一丁だけお豆腐を取り出す。水から出た瞬間、お豆腐がいやいやをするように、ぷるんと震える。店主はすかさず左手に用意していた薄いプラスチックの容器を生まれたばかりの豆腐に被せて、ひょいとひっくり返すとビニール袋に入れて手渡してくれる。
 店主の無駄のない動きを観察するように見ていた私は手にした百円玉と引き換えに、差し出されたお豆腐の入ったビニール袋を受け取る。
「はい、いつもありがとうね」
 店主はそれだけ言うと私に背を向けて再び奥に戻っていく。

 近所にスーパーが出来ると間もなく、商店街は壊されてアパートに変わった。それでもお豆腐屋さんは残っていた。あのスーパーにお豆腐屋を卸してくれているのよと母が言っていた。だから私はお豆腐をスーパーで買うようになった。お駄賃代わりのお菓子ひとつとともに。
 三角巾をつけたお豆腐屋の娘さんが時折スーパーにお豆腐を搬入しているのを見かけた。

 車で7分のところに郊外型の大きなスーパーが出来ると、それまで活気のあった近所のスーパーには人気が無くなった。それでもお豆腐屋さんは営業を続けていた。その頃には、どこかにお豆腐屋を卸しているという話は無かった。


 看板が取り外されたと思っていたら、数日後には解体用の重機の先端に取り付けらた鋏状の爪が無造作に、柔らかいお豆腐を潰すかのように、お豆腐屋さんの建物を切り崩していた。脇に止まる廃材搬出用トラックの荷台にはあのステンレスの水槽がひしゃげた状態で載せられていた。


 冷蔵ケースには、パックに詰められたいろんな種類の豆腐が並んでいる。
 安売りの値札の前にある山からひとつを取って手元のカゴに入れる。レジでバーコードリーダーの前を通過するとき、豆腐が何か言うかと耳を澄ましても、レジがピッというだけで豆腐は無表情のまま精算済みのカゴに納まっているだけだ。

 あのお豆腐屋さんの跡地には住宅が並んでいる。
 他の物と一緒に買い物袋に入れた豆腐を助手席にのせて、お豆腐屋さんがあった辺りを車で通り過ぎる。近所のスーパーに届けた後の空のプラスチックケースを手にした、お豆腐屋の娘さんの淋しげな後ろ姿を見かけたのと同じ道を。

 古いが清潔感溢れる銀色の店構えや、店の窓から溢れる湯気が朝日に照らされて輝く光景や、嘘のように静かになった店内で冷たく澄んだ水に佇む姿や、お豆腐を優しく容器へと誘う愛に満ちた手を持った言葉少ない店主の姿は、私の記憶の中にしか残っていない。

 AIの出現で仕事がなくなるというような社会の新陳代謝は必然であると受け止めているつもりだが、お豆腐屋さんが想い出の中にしか残っていない現実を私が淋しいと思わないということでは決してない。

おわり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?