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ぬるま湯がちょうどいい?

 ぬるま湯ですね、日本は。 
 海外在住が長い日本人がそう言った。
 もちろん風呂の温度の話では無く、社会や経済の話だ。

 海外諸国との金利差が生み出している円安なのに政治家に忖度して金利を上げることを躊躇する。
 企業は客に忖度して原価高騰を価格に転嫁しない。
 その結果、円安はさらに進む。企業は倒産する。輸出企業だけが莫大な為替利益を独占する。

 そんなことをしたら国民や顧客の理解が得られないと言いながら、外国に対しては苦しいから為替介入するけど許してと甘えた態度を平然と取る(もちろんこれは私の憶測です)。

 仕入原価が高騰しても、お客さんに少しでも安く提供したいとか何とか言って、借金を焦げ付かせて倒産するまで放置する経営者が多くいる状況はしごく日本的だが、海外から見ると異様だろう。

 それが日本らしさでもあるから無下には出来ないが、何となくで何とかしている状況や、苦しいのに自ら変えようせずに誰かがやってくれるのをひたすら待つ態度は、海外から見ればぬるま湯でしかないことを私たちは知るべきだろう。

 公共交通機関での過度な放送や食料品の過度な包装、除菌や抗菌といった衛生への過剰な反応、異物があれば何が何でも全量廃棄処分するなど、ぬるま湯の例には枚挙に暇がない。これらがぬるま湯とどう関係するのか分からないとすれば、本当にぬるま湯だ。

 デジタル化の遅れについても似た構造である様に思える。保険証を廃止することも経理書類を電子化することも、そのことで困る人がいるからという理由でなかなか進まなかった。それらの制度が唐突に思えるのは国の行政にも問題があるが、実際に使う国民の側にも少なからず非がある。
 何につけてリテラシーの低さをひけらかして平気でいる国民だから仕方が無いのだろう。

 これからの日本を作るのは政治家や役人ではなく自分たちなのだという感覚や、給与が上がらないのは自分に甘えがあるからだという考え方に立たない限り、良い国は出来ない。少なくとも各自が考える様なそれにはならないだろう。

 しかしそうした様な何事も自分ごととして考える真剣さが無くてもこれまでは人並みの生活が営めた。それは様々な外部要因が日本にとってラッキーに働いていたからだ。そのラッキーはもはや期待出来ない。日本も自力で何とかしなければならないフェーズに入っている。
 過去の遺産による惰性が尽きる前に新たな世界の構築に向けて歩みだすことをしない限り、明るい未来が無いことを覚悟しなければならないだろう。
 そろそろぬるま湯に浸かっていることに気がついた方が良い。

おわり

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