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木の根

 ずっとずっと現実と思い込んでいたことが、そうで無かったと分かった時、しかもそれが自分のアイデンティティに関わることであった場合、自身の存在に疑いを抱くことは当然だろう。
 自分が自分と思っていたその一部分が違うものであったという事実は、自分の一部に空隙が生じていたことに他ならない。

 それはまるで、庭の土を掘っていたら、突然大きな穴を見つけた時のようだ。そこにあったはずの木の根は、いつの間にか、とっくに腐りきっていて大きな穴になっていた。見上げれば、木には葉が青々と生い茂り、春には花を咲かせているにも関わらず、あるはずの根が無くなっていて、いつ倒れてもおかしくない状態になっていたということだ。

 人は、外から見える状態でしか判断出来ない。見えないものはどれだけ見ようとしても見えないからだ。だから、もしかしたら土は掘ってはいけないのかも知れない。掘ってみて腐り掛けている根を発見したところで、所詮はどうしようもない。そこで何か手を打てる訳では無い。腐った根は回復不能だからだ。それが出来るのは時を戻す能力を持った超人だけだ。

 どうして気が付かなかったのだろうと悩む必要は無い。
 気付かないものはどうしたって気付かないものなのだ。
 あなたが出来る唯一のことは、心にぽっかり空いた大きな空隙を何かで埋めようとすることではなく、そっと土を被せて元に戻そうとすることでもない。そんなことをしても埋まるような穴ではないはずだ。
 そうではなくて、空隙も含めてあなた自身であることを受け入れることだ。それは辛いことかも知れない。何も信じられなくなる思いかも知れない。どうして良いか分からないというのが本音だろう。

 それでも、足掻くだけ無駄だ。
 足掻いても何も変わらない。やって為になることとすれば、木が倒れないような支えを造るか、根元から木を切り倒すか。倒した木を処分できる大きさまで細かく裁断するのは難儀なことだ。だから、手っ取り早いのは支えを造る方だろう。だからと言って、切り倒すことを否定するのではない。支えを造ることを勧めるのではない。選ぶのはあなただ。
 あなたに取ってどちらがしっくりくるか。
 根が腐りきっていても毎年咲く小さな花を見続けたいと思うのか、花は諦めて更地にするのか。どちらが正解かは誰にも分からない。どちらの場合も痛みが伴う。平気でいられる人などいない。
 今選ばなければ、何れ木は朽ちて倒れる。それは思わぬ災害に繋がる可能性もある。コントロール出来るうちに対処した方が良いことは間違いない。

 足元に空いた穴を見ていても、そこには何も無い。事態は好転しない。放置する分だけ悪い方向に行くだけだ。
 でも、結果を急ぐ必要は無い。
 幹に手を当てて感じてみよう。葉が風にそよぐ音に耳を傾けてみよう。
 花の香を嗅いでみよう。
 きっと何か分かることがあるはずだ。
 そう、思いたい。

おわり

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