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平和のために〜虐待の記憶

 安っぽい正義感を振りかざすのは、自分が空虚だからだ。理屈で武装するのも、物で満たされようとするのも、人を信じることが出来ないからだ。周囲がおかしく感じるのは、自分が歪んでいるからだ。

 世の中というものと何とか折り合いをつけてやってきた。そう思っていたが、全く折り合ってなどいなかった。表向きと違って、私の存在は社会とは噛み合わない世界に生きている。
 この社会は決められた手続きさえ守れば生きていける。でもそれは、人として生きることとは別だ。社会に生きられたとしても、受け入れられることとは、別問題だ。

 心の奥底に住む悪魔は暴れ出す切っ掛けを待っている。その悪魔は、悪魔であって悪魔ではない。小さな小さな、脆くて弱く、常に何かに怯えて周囲を窺う何かだ。その生き物は、幼少の頃に棲み着いた。

 今の今まで違うと思っていたが、私は母に虐待を受けていた。記憶は鮮明にあったが、それは虐待ではなく躾なのだと思っていた。そう信じ込んでいた。
 世に聞く虐待は、それはそれは痛ましいものが多い。それに比べたら私の記憶にあるそれは虐待と言うにはおこがましい。そう思っていた。
 でも、どうやら違っていたようだ。

 幼かった私は母が好きだった。幼い子供は皆そうだろう。母しか頼る相手がいないのだから。しかしその母から暴力を受けていた。きっとそれは耐え難いものだったのだろう。泣いて許しを請うたが簡単には許してもらえなかった。
 母はよく、こうも言っていた。これは虐待ではなくて躾なのよと。憎くてやるのではなく、愛しているからやるの、と。

 そう言えば母は二人だけのときにこんなことも言っていた。母が幼い頃、産まれたこと受け入れてもらえず親に相手にされなかったと。まだ幼い私に向かって泣いて語りかけてきていた。私もそれを聞いて泣いた。そうしたら、あなただけは分かってくれるのねと言われた。

 私には親に抱きしめられた記憶が無い。幼すぎて記憶が無いだけだろうと思っていたが、暴力の記憶はあるのだ。そして、今のあなたでは駄目だと言われ続けた記憶だけがある。毎日、号泣するまでつめ寄られて腫らしたまぶたが重かった。そう言えば、あの頃の父の記憶が無い。私が眠ってから帰宅していたのだろうか。

 人並みに反抗期があったお陰で、それからは母に囚われることが無くなったものの、ずっと親に対する怒りの感情は消えなかった。
 虐待の記憶は消えないし、無かったことにも出来ない。ましてや私のように、半ば洗脳されていたかのように虐待などではなかったと信じて生きてきた、そんな人もいるだろう。

 優しい人と見られて、その裏では優しさとは真逆の残虐さを隠し持っていたのは、人を信じることが出来ないからだろう。さらに、自分のことも本当には受け入れられずにいる。その根底には、あの優しかった母に認められ受け入れられたいという想いが眠っている気がする。
 でも、それはあり得ない。どんなことがあろうとも、過去の虐待の事実は消えない。きっとこれが、虐待の根の深さにつながっているのだろう。

 虐待は連鎖するという。
 既に成人した我が子が幼い頃に暴力を振るった記憶は無いが、振るおうとして止められたことがある。叱るのではなく怒ったことも多々ある。言葉の暴力だって虐待になるだろう。彼らを傷付けていないことを切に願うばかりだ。

 もっと早く気づけていれば違ったのだろうか。
 そうだとすれば、受け入れ難い過去の記憶がある人は、なるべく早いうちに消化する機会を持てると良いだろう。社会の平和のために。
 そして、あなた自身の平穏のために。

おわり

 

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