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人生のオプションとチョイス

 今年の受験シーズンもまもなく終わろうとしている。
 受験生やその家族にとっては人生の重大な節目。うまく行っても行かなくっても人生に大した影響はないなんて思っている人は恐らく殆ど居なくて、ここで道を間違ったら大変と思って臨んでいることだろう。
 受験がその後の人生を決めてしまうという考え方は多くの価値観のうちのひとつに過ぎないと早く気づいたほうが良いと個人的には思っているが、当事者にしてみればそれこそ生死を分かつ決戦の日々なのだろう。

 ところで、受験問題で多く採用されている選択問題。選択肢の中からひとつを選ぶ。或いは複数を選ぶ問題もある。
 限られた時間の中で多くの希望者の中から選抜するための方法論として確立した感がある。
 受験者に取ってみれば、如何に早く正解にたどり着くかが勝負なのだから正解の選択肢を見つけるための嗅覚が養われる。思考や知識もある程度は必要だが、選択肢を見極められなければ成果には繋がらない。

 提示された選択肢の中から正しい選択を行う一連の技術は、受験問題の解決手段としては有効だが、一般的な問題解決の手法としては物足りない。
 受験中心社会の弊害の一つだと思うのだが、世の中の問題を受験的な選択問題に落とし込もうとする傾向がある気がする。
 何か問題があったとき、どんな選択肢があるか並べてみて、その中から正解(と思しき)選択肢を選ぶ。そんな問題解決方法をしがちではないか。それ自体間違った手法ではないが、それだけに頼り切ってしまうと落とし穴があることも確かだ。

 このような、予め決められた選択肢や限定的な選択肢のことを英語ではオプションという。
 限られた状況の中で限られた情報をもとに何かの選択をしなければならないとき、どんなオプションがあるのか把握することが重要になる。
 典型的なのが危機的な状況であるとか予算が厳しい短期プロジェクトような場合で、短期間で決断しなければならないような場合だ。
 何かを選択するということは選択外のことを捨てることでもあって、可能性を絞ることになるが、それをせざるを得ない状況下の場合は多い。

 受験問題の選択肢は出題者から与えられたもの。元々試験範囲が決められているのだから、いうなれば正解も予め提示されているということだ。その意味で、現実世界で遭遇する選択問題とは本質的に違っている。
 新たなことに対処するためには、問題や選択肢は与えられるものでは無く、自ら設定しなければならない。
 問題や選択肢の想定が前半部分、選択決断が後半部分とすると、受験技術は問題解決の後半部分を養うことができても、前半部分は手つかずなのだ。
 既成の枠の中や既存の常識の中からは新たな問題や選択肢は見いだせない。だから既存の枠組みの中だけで対処しようとしていてもイノベーションは起こらない。


 人生の選択肢は本来無限に近い。
 カタログから選ぶように、提示されたオプションから選ぶことに慣れすぎると、例えばチーズバーガーセットのポテトの代わりに飲み物2つにしてくれない? というオプションの提示は生まれない。店側は飲み物の方が利益率が高いのだからアリだと思うのだが、そんな注文をしている人を日本では聞いたことがない。マニュアルに充実なだけの店員は、臨機応変には応じられないだろう。

 自分自身を既存のカタログのどれかに当てはめなければならないということは決して無い。
 血液型性格判断や占星術であなたはこんな性格でこんな運命ですよ、と言われたとしても、示されたものに自らを寄せていく必要はない。
 あなたのが持つ選択肢は、あなたが思うよりずっと多い。それなのに限られた選択肢しか与えられてないと嘆くのは勿体ない。人は自分の視界の範囲の外は見えないから、視界の範囲内で選択肢を探してしまう。そこは想像力で突破しなければならない。
 そうすれば、思った以上の可能性が自分にあることに気づくだろう。

 示されたオプションから選ぶ方が楽だけど、それでは他人ひとの決めた範囲内で人生を歩むことになる。それで上手く行った場合は良いが、そうでなかった場合は悔いが残る。それでも良いという考え方も、もちろんある。

 何をチョイスしたいのか、自分に問うことから始めてはどうだろうか。

おわり


 

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