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第1怪「牛の首」について

皆様、「牛の首」という怪談をご存じでしょうか。
怪談と言っても色々と無限にありますが、みんな知っていて誰もしらない怪談といえば、ということで今回「牛の首」という怪談を選びました。
怪談やオカルト好きな方は”名前”だけだったら聞いたことある、と思うでしょう。実はこの「牛の首」という怪談。内容は無いとされています。
名前だけでも怖いのですが、この怪談の特徴は「聞いてしまったら恐ろしすぎ死んでしまう」というものです。想像するだけでも死んでしまうほどの恐ろしい怪談とは、と考えて背筋がぞくぞくとしてしまうでしょう。
そんな「牛の首」について、民俗学的に考察していきたいと思います。


「牛の首」の元となる話

Wikipediaによると

「『牛の首』というとても恐ろしい怪談があり、これを聞いた者は恐怖のあまり身震いが止まらず、三日と経たずに死んでしまう。怪談の作者は、多くの死者が出たことを悔い、これを供養するため仏門に入り、人に乞われても二度とこの話をすることは無く、世を去った。この怪談を知るものはみな死んでしまい、今に伝わるのは『牛の首』と言う題名と、それが無類の恐ろしい話であった、ということのみである」というもの 。

Wikipedia「牛の首」
https://00m.in/UlyaL

Wikipediaの「牛の首」についての内容を読んで行くと、わかるように「牛の首」は代表的な”都市伝説”として語られている。
概念的に怖い怪談ってのは面白いと思う。
さて、ここでどこからその「牛の首」という言葉が来たのか考察してみようじゃないか。
まず、この怪談を本で語っている人物。
並木伸一郎、松山ひろし、宇佐和通、小松左京、筒井康隆、松山ひろし、北のりゆきである。
小松左京の「牛の首」を読んだが、その中でも怪談の内容については語られていなかった。こうしてみると大分古い時期からこの話はあるのだとわかる。一番古いもので、大正15年(1926年)刊行の『文藝市場』第2巻第3号石角春洋(石角春之助)が父親から聞いた話として同名の記事を執筆している。だろうか。読んでみたく軽く調べてみたがどこにも売っていない。内容もわからずのまま、誰かこの本を持っていたら是非一読させてほしい。

実は「鮫島事件」に類似した都市伝説というのは、多く存在する。  中でも「牛の首」は、「鮫島事件」の原点ではないか、といわれている怪談だ。  聞いたものは恐怖で身震いが止まらなくなり、三日を経たずに死んでしまうという恐ろしい怪談であるという。  怪談の作者は、この話を聞いた多くの人が死んでしまったことを悔い、仏門に入る。その後、二度と「牛の首」の話はしなかったという。このこの怪談を聞いたものはみんな死んでしまったため、「牛の首」という恐ろしい怪談があったということしか伝えられていない、というものだ。

並木伸一郎.「 最強の都市伝説3」


並木伸一郎さんはこの話は「田中河内介の最後」という話ではないかともいっている。彼の話をすることがタブーとされ「口にしてはいけない」となったのでないかと言っている。

河内介が非業の最期を遂げたこともあって、明治以降、「百物語の会で田中河内介の死の真相を語ろうとした者が、その核心を語りえぬまま話の中途で突然死した」という都市伝説が徳川夢声池田弥三郎によって喧伝された。

Wikipedia「田中河内介」より
https://00m.in/DfPRJ

「牛首村」

石川県河北郡津幡町、白山市白峰などにあった旧地名。
牛頭天王を鎮守として祀った村。

ある地方では沼へ牛の首を捧げる儀式があり、大人が子供達へ池へ近づかないように”警告”として「牛の首」という怪談を作ったのではないか。
教訓だったり、警告の意味も含まれる怖い話というのはどこにでもあるものだ。所謂、そういう話だったのではないかと書かれている。
以下は実際行われていたとされる儀式の一部である。

福島県南会津「沼尾沼」

平安末期に小野岳の上に住み獣皮で財をなした長者がいて、かしこい牛を飼っていた。牛はなんとひとりで山道を下り麓の集落に使いにいっていたというが雨の日に沼尾沼に落ちて死んでしまったという。以来、牛の首をかたどった人形を沼に投げ入れると雨が降るとされ、雨乞いの神事となったとの話がある。

水辺遍路「沼尾沼」
https://00m.in/MLBDq

和歌山県白浜温泉近く「牛屋谷の滝」

雨乞いの為、牛の首を滝壺の棚の上に置く、或いは滝壺に首を投げ込むと、その穢れを流すために滝の主が雨を降らせるという流れのようです。

伝統文化紹介「殺牛・殺馬祭祀」
https://00m.in/TOfug

静岡県「龍爪山」

龍爪山の雨乞い儀礼は、山上に牛の首を埋めてくることに、特別な効き目があると信じられ、近代まで、実際に行われてきた習俗であった。
「日古登能不二」には、「雨乞の時、農民牛頭を携へ登り、山上に埋め祭る時は雲起り雨を降らすと也」と記されていた。

牛と牛石をめぐる民俗
https://diycc.info/taki/t/t037_039.htm

「牛の首を捧げる=雨乞い」なぜ?

どれも「雨乞い」に関するものになっている。
牛の頭を捧げると雨が降るとされているのはなんでなんだろうか。
龍や神様にしろ牛の頭を捧げられ嬉しいものなのかどうか、神様の気持ちというものはわからないものだ。
滝の主がその穢れを落とすため雨を降らせるというが、雨どころではなく怒りによって水害などが起こりな気もするのだが。
後に記載しているが、牛頭天王に捧げられる場合もあるらしいのだが、牛頭天王は疫病を防ぐ神とされていて、雨を降らせる神としては竜神などがみられるが、どのようにして牛頭天王と雨乞いを結び付けられたのか、調べてみても牛頭天王=雨乞いという言葉は引っかからなかった。もっと深く調べれば出てくるとは思うが、また民俗学とは違うジャンルになってきそうなのでここではここまでの情報にとどめておく。
雨乞いする人々は大体農民が多いだろう、農民にとって神様は誰でもよくて藁にでもすがる思いで雨乞いをしたのだろうか、その地域で信仰していた神がたまたま牛頭天王であったというだけなのかもしれない。

「牛頭天王」
牛頭天王は、京都の感神院祇園社(現八坂神社)の祭神である。
疫病を防ぐ神とされている。


その他「牛」に関する小話

「牛」と「茄子」

お盆に茄子を送りの牛と見立てて”精霊馬”をつくる。地域によっては馬と牛が逆の場合もある。牛の茄子、馬のきゅうりともにお盆シーズンに収穫量が多い野菜のため選ばれたとされています。
ちなみにそれぞれ置く向きや処分の方法があるので注意が必要である。
 河村瑞賢
貧家に生まれた瑞賢がまだ若くて無職の頃、お盆の後に品川の浜に打ち上げられている大量のキュウリやナスに出くわしました。瑞賢はこれらを拾い集めて塩漬にし、江戸の各所の工事現場で働く者を相手に売り歩いたというのです。

「件(くだん)」

件(くだん)は、19世紀前半ごろから日本各地で知られる予言獣(妖怪)。「件」(=人/にんべん+牛)の文字通り、半人半牛の姿をした妖怪として知られている。人間の顔に牛の体を持つ件(くだん)が、天保7年(1836年)、丹波国与謝郡「倉橋山」(現・京都府宮津市の倉梯山)に出現したと触れまわる当時の瓦版が現存する。この件は、その先数年連続で豊作が続くと予言し、また、その絵図を張り置けば家内は繁盛し、厄も避けられると教示したという。「よって件のごとし」という証文を締めくくる常套句も、この幻獣になぞらえているものと主張されるが、これは俗説だとされる。

「牛鬼」

各地で伝承があり、その大半は非常に残忍・獰猛な性格で、毒を吐き、人を食い殺すことを好むと伝えられている。ただし、その中の一部には悪霊を祓う神の化身としての存在もいる。伝承では、頭が牛で首から下は鬼の胴体を持つ。または、その逆に頭が鬼で、胴体は牛の場合もある[1]。また、山間部の寺院の門前に、牛の首に人の着物姿で頻繁に現れたり、牛の首、鬼の体に昆虫の羽を持ち、空から飛来したとの伝承もある。海岸の他、山間部、森や林の中、川、沼、湖にも現れるとされる。特に淵に現れることが多く、近畿地方や四国にはこの伝承が窺える「牛鬼淵」「牛鬼滝」という地名が多く残っている。


とりあえずは、調べたり本を読んだりして得た情報を羅列してみた。が、まだまだ探り足りないし、深堀しすぎると別のジャンルになりそうなので。一旦はここまでとしておく。
またある程度情報が集まった時に第二弾として記事をつくりたい。

今後、調べていきたいこと。
 ・各地の雨乞いの儀式について
 ・牛頭天王と雨乞いの関連性

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