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愛とはセッションする事と捉え生き抜く

おはようございます。
生命の器の中に命があり
その命を生き抜くことは、死とは、命とはを考え
今を生きるとある看護師です。


昨日は、愛とはあなたの今あるその命の軌跡そのものだと
私の考えを記させていただきました。
命が生まれる、あなたが無事にこの世に出生したこと
それ自体が愛の奇跡であるということです。

https://note.com/toarusekitomo/n/n6922f163c8ac

それでは、命を生み出さなければ愛とはいえない。。
それは絶対にないと、思い切って言い切ります。
愛とは、創造すること、命以外でも、あらゆるものについて
人間、動物含め生物が生み出すこと創造することなのではないでしょうか。


 例えば、ある目的に向かって人が、同じ時間をともにして
話し合い、
時に沈黙を楽しみ
時にお互いの出方、相手の思考を察しつつ
何かを生み出す過程

とある会社のいつもの会議
とあるワークショップ
とあるセミナー
その関わりの中でのお互いを慮る配慮、やさしさ
その中でのお互いの意見交換の中で
ある目的が何らかの形で、形になったら
いや形にならなくとも
そこに何か、創造したものがある。
それも愛です。


 特に、一人で何かを突き詰めていく中だけでなく
同じ時間を他者と、ともにして、
そう、音楽をジャズのセッションを奏でるように
お互いがそれぞれの楽器は担当するが
楽譜はない。。曲は決まっている様子。
それでも、それぞれが
相手の間合いを見逃さず
自らの出るところも、見定めて
その都度、変化するその場オンリーの
生まれてくる音楽。
そこには、規定しているような礼儀正しさ、
義務化、形式化されたような(それもフォーマルでは大切)
愛でなく
お互いの自然な、思いが交通する
命が循環するような愛を私は感じます。
そんな音楽の、決まってないジャズのセッションのような、
さりげない、
でも確かに何かが産み出された時間を共にする場
それは、まさしく愛が循環した場であり
まさしく愛とは、時間を共にして、何かを産み出すことだな
と思うのです。

それが上記の
何気ない日常の仕事の会議でも
とあるワークショップの中でも
とあるセミナーの中でも
とある家族の食卓にもあるのかもしれない。


~そう考えたら
こんな私でも、今から愛を実践する場が
すぐそこにあるんじゃないか?と
思い、自分の日常のあちこちに
私が忘れてた愛があったんだと
しみじみ思う朝なのでした~

今日は愛とは、何かを考えをめぐらす中で
最近とあるワークショップに参加して
あれも愛だったなと思い
そこについて表現、共有させていただきました。
皆様も今、愛をもとに、目が覚め
心臓が夜止まることなく動き続け
今ここにあること、命がここにあることに
感謝して、そして私も今愛を感じていることに
本当にありがとうございます~

今日も、愛をかみしめながら、私の生きた証を
つくりにいってきます。
そしてあなたも、いってらっしゃいませ。


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