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そして、命とは何かを、共に考える。

みなさんこんにちは。
一昨日、昨日と、お彼岸もちなんで連鎖される命について
ご先祖様がリンクしている記事を共有させていただきました。

https://note.com/toarusekitomo/n/n112b824d989a

その中で私は命の連鎖についてこのように述べました。

命の連鎖って、生きる事の連鎖なんだと思います
そして生きる事の連鎖とは生き方、心の持ち方それに基づいた
行動の連鎖なんだと思います


命の連鎖が生きることの連鎖と表現したとき、
私自身が,
命とはいったい何なのか、もう一度考え悩み、
そしてこの表現となりました。
命とはいったい何なのか
私の医療者である前の、一人の人間としての命の考察を。


死を表現するとき、
私たち医療者は、命がなくなったとはいいません。
生命を維持する力がなくった、つまり心停止といいます。
生命という言葉が、
医療者の中では使用され、
生命維持機能、生命倫理などと活用されています。
それでは、生命とは何か。命と同じでは?
これも本当に、実は『死』同様明らかな明確な定義は、ありません。
そちらのわかりやすいのが下記、自分の理解に近いと思っております。

生物が示す基本的な特質と考えられているもの。自己を維持するための代謝,自己増殖としての成長,同型のものを再生産する複製,外界への反応性と適応性などの特質をあわせもつ物質複合体あるいは個体の状態をいう。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典収録キーワード一覧 62930件目から63000件目 - コトバンク (kotobank.jp)

看護師として生命をとらえるときは、看護学概論という
看護の基本となるテキストのなかで、以下と表現されています。

生命とは、生物学的な意味でなく、社会的な意味も含めている。
つまり、人間には自分の生命を健康に維持する責任があるわけだが、
その生命への責任とは、かけがえのない生を生ききることと同義である。』

引用文献:佐藤登美:基礎看護学看護概論第3版.2014、P15

 生命については、看護の側面では、人間が生命体として機能している事と
同時に、自分のかけがえのない生を生ききることとしています。
そして、それでは表題について生命の連鎖でよいのではないか?
そこについて、なぜ命の連鎖としたのか?
それは、私が表したかったのが、私の魂の中に引き継がれる
父の生きた、息づかい、生きぬく姿勢を連鎖していることを
共有したかったからです。


 生命の語源を調べると、古期英語 lif(生命体)⇒ ゲルマン祖語 liba(生命体)⇒ ゲルマン祖語 libana(残る)⇒ 印欧祖語 leyp-(粘着する)が語源。とされています。life 意味と語源 – 語源英和辞典 (gogen-ejd.info)
生命とは、私が考えるに人間をはじめとした、生物としての機能が運営されている期間時間のことをいい、それは有限で、限りがあります。
しかし命については違うと解釈しております。


 の語源については、以下となっております。

「いのち」の「い」は「いく(生)」や「いき(息)」と共通であり、「ち」は「いかづち(雷)」や「大蛇(おろち)」などの「ち」と同じく「霊力」を意味するとする説。

命の意味・語源・由来を解説 : 語源由来辞典 (gogen-yurai.jp)

命は、人に魂が入って、息をしていることであり、それは、生きる姿勢、そして生き抜いた思いも含み、それは脈々と受け継がれます。
終わりがありません。

たとえば、日本の偉人の方の生きる姿勢、思いが今も永遠にそこに彼らが
いたように存在しているように感じることはありませんか。

語源とともに、私が、このような解釈となった
一つの表現を記されているもう亡くなられた先生がおります。
その方は、医学者である中川米造先生で、テレビ番組での
インタビューでの以下の言葉でした。

生命は終わるが、存在の意味、価値は、永遠で死なない
だから死は怖くない。


つまり、生命は終わりがある、
だが存在の意味、価値、
つまり前述した、命の語源にあたる『霊力、
その人が生きた証、その人の魂、思いは脈々と連鎖していく』

そう思っています。

私の中で父の霊力が、生きた証が、脈々と受け継がれているということを
命の連鎖は生きているの連鎖という言葉で、表現させてもらいました。


命は、代々の名もなき、数えきれない宇宙のような莫大の霊力、生きた証
魂が受け継がれているものです。
そして生命は、その命の灯を支えている、大切な限定された活動のことを
いうんだと思います。


どちらも大切ですが、私たちは、自分自身がただの物体だと思って
死ぬとすべてが終わり、生きてるときは心臓が動いていると
思っていただきたくない。。と思っています。

そして、私が、絶望の淵にいてもそのことを思うと、
一人ではないこと、今生きている奇跡を感じ、
脈々と受け継がれる
父の厳しい、でも熱く、まっすぐな生き抜く姿勢を思い、
私自身がなんども投げ出すところをやりぬいた経験が
あるわけです。

そして生きているということは奇跡であるということは
まぎれもない事実なのだと、私は思っております。


非常に長くなりましたが、
どれも省くことができませんでした。ここまで読んでくれて感謝します。

~皆さんの中に、どなたの命が、脈々と受け継がれているのでしょう。
そしてそのバックに、何億、何兆という命があることを
どうか忘れずに。~

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