そして、命とは何かを、共に考える。
みなさんこんにちは。
一昨日、昨日と、お彼岸もちなんで連鎖される命について
ご先祖様がリンクしている記事を共有させていただきました。
その中で私は命の連鎖についてこのように述べました。
命の連鎖が生きることの連鎖と表現したとき、
私自身が,
命とはいったい何なのか、もう一度考え悩み、
そしてこの表現となりました。
命とはいったい何なのか
私の医療者である前の、一人の人間としての命の考察を。
死を表現するとき、
私たち医療者は、命がなくなったとはいいません。
生命を維持する力がなくった、つまり心停止といいます。
生命という言葉が、
医療者の中では使用され、
生命維持機能、生命倫理などと活用されています。
それでは、生命とは何か。命と同じでは?
これも本当に、実は『死』同様明らかな明確な定義は、ありません。
そちらのわかりやすいのが下記、自分の理解に近いと思っております。
看護師として生命をとらえるときは、看護学概論という
看護の基本となるテキストのなかで、以下と表現されています。
生命については、看護の側面では、人間が生命体として機能している事と
同時に、自分のかけがえのない生を生ききることとしています。
そして、それでは表題について生命の連鎖でよいのではないか?
そこについて、なぜ命の連鎖としたのか?
それは、私が表したかったのが、私の魂の中に引き継がれる
父の生きた、息づかい、生きぬく姿勢を連鎖していることを
共有したかったからです。
生命の語源を調べると、古期英語 lif(生命体)⇒ ゲルマン祖語 liba(生命体)⇒ ゲルマン祖語 libana(残る)⇒ 印欧祖語 leyp-(粘着する)が語源。とされています。life 意味と語源 – 語源英和辞典 (gogen-ejd.info)
生命とは、私が考えるに人間をはじめとした、生物としての機能が運営されている期間時間のことをいい、それは有限で、限りがあります。
しかし命については違うと解釈しております。
命の語源については、以下となっております。
命は、人に魂が入って、息をしていることであり、それは、生きる姿勢、そして生き抜いた思いも含み、それは脈々と受け継がれます。
終わりがありません。
たとえば、日本の偉人の方の生きる姿勢、思いが今も永遠にそこに彼らが
いたように存在しているように感じることはありませんか。
語源とともに、私が、このような解釈となった
一つの表現を記されているもう亡くなられた先生がおります。
その方は、医学者である中川米造先生で、テレビ番組での
インタビューでの以下の言葉でした。
つまり、生命は終わりがある、
だが存在の意味、価値、
つまり前述した、命の語源にあたる『霊力、
その人が生きた証、その人の魂、思いは脈々と連鎖していく』
そう思っています。
私の中で父の霊力が、生きた証が、脈々と受け継がれているということを
命の連鎖は生きているの連鎖という言葉で、表現させてもらいました。
命は、代々の名もなき、数えきれない宇宙のような莫大の霊力、生きた証
魂が受け継がれているものです。
そして生命は、その命の灯を支えている、大切な限定された活動のことを
いうんだと思います。
どちらも大切ですが、私たちは、自分自身がただの物体だと思って
死ぬとすべてが終わり、生きてるときは心臓が動いていると
思っていただきたくない。。と思っています。
そして、私が、絶望の淵にいてもそのことを思うと、
一人ではないこと、今生きている奇跡を感じ、
脈々と受け継がれる
父の厳しい、でも熱く、まっすぐな生き抜く姿勢を思い、
私自身がなんども投げ出すところをやりぬいた経験が
あるわけです。
そして生きているということは奇跡であるということは
まぎれもない事実なのだと、私は思っております。
非常に長くなりましたが、
どれも省くことができませんでした。ここまで読んでくれて感謝します。
~皆さんの中に、どなたの命が、脈々と受け継がれているのでしょう。
そしてそのバックに、何億、何兆という命があることを
どうか忘れずに。~
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