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私の、祈りの背景を考え生き抜く。

昨日、私は、祈りは愛であると記させていただきました。
祈りをもって愛し生き抜く|命に向き合うとある看護師 (note.com)
そしてその根源は、私の血に息づく、生活の中の祈りです。
ちなみに、父母の家系、どちらも、無宗教です。


 ですが、毎年、地元のお世話になっている神社があり
そこに、ご挨拶に行き、節目の時は御祈祷してもらい
神棚の、お札をいただき、家族で、
その時いただいた、御神菓を、みんなで分けあって
いただくことがほぼ、いつもの習慣でした。
看護学校を卒業して、遠方に就職しても
節目で帰ると、4人家族ですが、4等分された
砂糖の御伸菓が、とっておいてくれて、
食べな。。と渡されるという。

↓御神菓についてはイメージできないときのために。。
 神社、仏閣でご祈祷などしていただいたときに、時に
 ついてくるものです。(靖国神社様の画像を借用させていただきました)

https://senseki-kikou.net/?p=3398



 かと思ったら、ささやかですが、クリスマスもほぼ毎年、
ケーキを買い、クリスマスツリーも飾り付けはする。
 もちろんひな祭りは、女の子姉妹でしたので、
ひな壇をだし、飾りつけはする。
 節分、春分、秋分そのような時節のときには
その時節に沿った、おかず、メニューが並ぶ。
父の姉、私にとっての叔母は、
ひな祭りのときは、手作りの草餅を
秋分の時は、大量のけんちん汁を作って
持ってきてくれた。
父は冬至のときは、必ずかぼちゃを似てくれた。

まったく宗教観がない家庭でした。でも、年間あらゆるイベントに
乗り、季節を感じ、時に親戚同士でも集まる不思議な人たちでした。

~ちなみに、私は、幼稚園は一番、費用がその地元の中で
良心的だったつまり安かった
クリスチャンが園長先生であるキリスト教系の幼稚園に
通っています~
幼稚園のときは、園長先生の朝の祈りを聞きながら、
毎朝ホールで園児があつまり、祈ることをしていた。
それも幸せな思い出でした
その後園の先生やお友達ともつながり日曜学校までは
行くことを許してくれたのですが
小学6年生のときに、
父に『クリスチャンになりたい。』
そういったとき、それはだめです!と言われて一喝されたのが((笑))
腑に落ちません。
今でもなぜ⁉それならなぜキリスト教に深く関連している
幼稚園に入園させたのだろうと今でも疑問です。。。。
(おそらく一番安値だったからだと。)~


今では笑い話ですがここからも
私の実家、その親戚含み、
まったく宗教観がなく、
でも生活に明らかに、あらゆる神様が
入り込んでいる状況でした。
時に、仏教。
時にキリスト教
ですが日常の基盤は、神社への毎年のご挨拶。。。


 面白いくらいにいいとこどりして、
そしてその都度祈りを大切にしつつ
その時に親戚もつながり、
料理を作りあって交換したり
するのでした。
その生活の中での祈りが、
今も私を支えてくれている。


 そこに、なんというのでしょうか。
すべてを受け入れる、こだわらない
あまり考えてもいない感じもしますが。。
受け入れて、うまくアレンジして、自然と
自分の中にうまく取り入れ
生き方、生活を彩る知恵を感じます
これはおそらく
私の実家だけでなく、日本人の特性なのかもしれませんね。


 そして、おそらく私自身のルーツの中に祈りの歴史があるように
それぞれの家庭、それぞれの地区、それぞれの都道府県
そして大きく日本に祈りの歴史があり
そこにご先祖様の、願い、愛があり、
そして私たちは今ここにいて守られている。

そんな風に、私は感じるんです。


 日本にはたっくさんの神社があちこちにあります
それが昔、地域の皆が集まり
お互いに支えあう場であったこと、
今もそれは息づいている。
その日本にたくさんある、神社で、人知れず
祈る方がいる。
その神社のお札を持ち帰りご自宅で、御仕事場で、
祈る方がいる
その祈りのネットワークがきっと日本を守っている。
これは科学的でなく、私の直観、感触ですが
そう思うのです。


そしてその祈りは、一見、目に見えず、
明らかな結果にでていないため
見落としがちですが、
普段の生活で、気づかないけど確実に私たちを支えている
空気、風、土、空、星のようなもののような気がします。

それは間違いなく、大きな愛です。


 今も、日本を問わず世界で、
様々な宗教、様々な場、様々な時に
人類が祈りを実践しています。
なぜ人は祈るのだろうか
それはきっと、
人の、自然への畏敬、愛、
家族、人間同士の愛
それを表現しているのだと思うのです。

そしてそれは馬鹿にはできない。
宗教がどうとかそういうことでなく、
人知れず、何の見返りもなく、誰も見ていなく
でもただただ祈りたい、自然に手を合わせたくなる
そんな瞬間が、生きていると誰しもきっとある。
その瞬間を大切にして
その謙虚な気持ちを忘れずに
祈り、愛していきたいと、改めて思った5月5日でした。


 今日は私の愛とはから祈りに派生して
私が祈りについて培われたルーツを探り
少しそちらを大きな視点で、自由に思考を
めぐらせたことを記しました。
~この私のnoteを読んでくれた方も
きっと誰かが、温かい想いを寄せてくれている。
間違いなく。
それは私も同じく。
今日も大きな壮大な祈りの歴史の中に
お互いが支えられ
今生きていることを感謝します。
ありがとうございます。
そしてあなたの命に
ありがとう。
5月5日こどもの日、
今日の晴れ渡った空を見上げ
すべてのお子様が、健やかで、
より暖かい気持ちになれるように
祈ります。今日も命にありがとう。~


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