400文字の意思表明

文章を書くことが好きになったきっかけは、ケータイを持てるようになって、かつケータイHPブームにのっかった時だ。

ケータイHPは兄がハマっていて、僕も何か書きたいと思って、無料のサーバーを使って文章を書き始めたのだ。

何かを語り合う友人がおらず、口に出して何かを言うことが苦手な自分にとって、ネットに文章をのっけることはとても気分がよかった。

その感覚が今も忘れられないから、こうして文章を書いてるのかもしれない。

ただ僕は小さい頃は作文が好きでなかった記憶もある。夏休みの読書感想文や詩の宿題に、いつも四苦八苦していた。適当に文字を埋めることすら、しんどかった思い出がある。

それなのに、なぜ今文章を書いているのか。

きっと色々と理由はあるのだろうけれど、はっきりとその一つの要因として言えるものがある。

それは高校のときの現代文のテストだ。

僕の通っていた高校では現代文のテストに、「授業でならった小説や評論を題材にして作文を書く」というものがあった。

作文は原稿用紙一枚分で、400文字。事前にテーマは出されるので、その場で考えて書くわけでは無い。
今思えば、わざわざテスト中に書かずに、作文はあとで提出すればよかったのでは?と思うけれど、それはそれで赤点回避の方法だったのかもしれない。

そんなこんなで定期テストの際に、作文を書かされるわけだけれど、その時に文章の書き方というものを教わったのである。

教わったことはシンプルで、以下の型を守るように言われただけだ。

意見の表明(40文字)

本論.1(140文字)

本論.2(140文字)

結論(40文字)

まとめ(40文字)

正直、文字数は正確なものかわから無い。
意見の表明、結論、まとめがそれぞれ20文字だった気もする。
しかし、言いたいことは、そこではない。
この型を守って書けば、「読める文章になる」ということだ。
もちろん400文字ではたいしたことは書けないし、型を守ってもグチャグチャな文章になってしまう人もいる。

それでも僕は「こうすれば文章になるのか!」、「この流れで書けば簡潔な説明になるのか!」と驚いていた。

そこから文章を書くのが苦ではなくなったし、よりよい文章が書けるように自分で調べるようになった。

なにより400文字という少なさも試行錯誤するにはちょうどよかった。

一文字も無駄に出来ないほど言いたいことがあるときは、繰り返しを避けたり、より簡潔に表現できるように二字熟語を多用したりした。

また書くことが見当たらないときは、ひらがなに開いたり、意味が同じでも、違う言い方を使うことで、文字数を稼いだりしていた。

小論文のような課題だったけれど、俳句のように読む人の想像力に任せるような書き方になっていた気がする。

とにかく書くことが楽しかった。

そして、今も書いている。

最近は全然文章が書けてなかったけれど。

400文字で言いたいことは言えてしまうのだ。

400文字で文章になるのだ。

書けなくても、書ける。

これからも書き続けよう。

#文章 #エッセイ #ライター #ライフワーク

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