見出し画像

世界を変えようとするのをやめた。|とべちゃんのレシピ

こんにちは。とべちゃんの頭の中を書き残すnoteです。

私は今の自分がどこから来たのか、何でできているのかを考えることが好きです。そこで”とべちゃんのレシピ”と題して、これまでの印象的な出来事をよく振り返っています。

最近、就活〜韓国留学&ワーホリ期間における、考えの変遷について、やっとストーリーで語れるようになりました。今回は、エピソードを交えずサラサラとその変遷を並べていきます。

学生〜就活時代

兄弟の中では比較的何でもできる子だったので、親にとって自慢の娘であり、その期待に答え続けたいと思っていた。(のだと思う。)

高卒で就職すると思っていたけど、奇跡が重なって大学進学できた。だから「高等教育の恩恵を社会に還元しなければ」と壮大な使命を意識するようになった。

↓大学進学の経緯はこちら↓


大学では教育福祉を学んだ。福祉の世界は対処療法になりがちだと感じ、「ビジネスを通じて社会課題が解決できるようになりたい」と思った。

就活で参加した事業企画のインターンでは、全く歯が立たなかったけど、「自分にも世の中にインパクトのある事業を生み出したり、携わることができるのかもしれないんだ」と可能性を感じた。

面接で東京に訪れたときに震災が起こり、店頭から物資が消えた。どんなにお金があっても買うモノがない。モノの価値は簡単に変わる。当たり前だと思っていることも、何か一つの要素が変わるだけで、覆るんだと思った。

仕事を通じて社会の仕組みを作ることは、広く多くの人に影響を与えることができ、世の中をひっくり返すようなことができるのかもしれない、と希望を持った。だから仕事を通じてたくさんの人を幸せにしたいと、ありがちで壮大な夢を抱くようになっていた。

新卒入社1〜2年目

そんな理想と現実に、だんだんと食い違いが生じるようになった。

当初抱いていた夢や使命感は、困難を目の前にしたときに、それらに立ち向かったり、打ち勝ったりするだけの理由ではなかった。自分の気持ちのようで、実はそうではなかったからだと思う。

「何かができるから存在を認められる」、「世のためになってこそ自分の価値がある」。だから、「自分の存在と価値を認めて欲しい」と思っていたのだと思う。

与えたいのではなく、欲しかっただけ。「やる」覚悟ではなく、「やれたらかっこいい」という承認欲求。

思っていた以上に私は平凡だった。それ以前に何もできない無力な存在なのだと思い知った。自分が期待していた何者でも無かった。

認めるしかなくなった。意地やプライドを持てるほどの状態でもなくなると、素直にならざるをえなかった。人生で一番の低空飛行の時間。傷ついて落ち込んで、自分の弱さを知った。でもその分、周囲の温かい関わりに気がつけるようになった。

何もできなくても愛してくれる人がいた。可能性を信じて期待してくれる人がいた。私は世界を変える何者かになれなくても、私であるだけで生きていけるし、生きていいのだとわかった。私の使命は、私を愛して、大切にしてくれる人を幸せにすることだと思った。そしてそれは、私が私の人生を明るく楽しく元気よく、幸せそうに生きる姿だと思った。

力が湧いた。そして、エネルギーを持て余すようになった。

社会人3〜4年目

ようやく戦う覚悟ができた。世界でも社会でも周囲でもなく、自分自身と。

何かをしてやるのではなく、周りの力を借りてさせていただく、のだ。

意識が変わると行動も変わる。当たり前のことを当たり前にやる。ただ、それだけのことで色んなことが変わった。

ただただ、ひたすら、どんなときも、明るく楽しく元気よく。

そうして時間が経つと、周囲からいろんなリアクションが得られるようになった。

「あなたはとても朗らか。職場を明るく、前向きにしてくれました。」

ある評価面談でこんな言葉をいただいた。自分の在り方一つで、周囲にエネルギーを与えられることに気がついた。困っている人を救う力にはならないかもしれない。でも、誰かの心を少し明るくすることができるとわかった。自分にできることが見つかって嬉しかった。

私は、自分ではない何者かになろうとすることをやめた。敗北を認めた。でも気持ちが楽になった。

こうして、自分にできることを一生懸命やり続けていたら、新しいチャンスが巡ってくるようになった。苦しくても、必ず、明るく楽しく元気よくやった。頑張っていると、助けてくれる人がたくさん現れた。そしてなんとかやりきることができた。この経験で自信がついた。

そして過去の自分には絶対にできなかったことにチャレンジしたいと思うようになった。

韓国留学・ワーホリへ

仕事を通じて得た学びは、人生にも活きると思った。どんなこともやればできる。だから、どんな人生でも選んでやりきろうと覚悟が決まった。

思えば、もともと変化や回り道の多い人生だった。だからか、何となく普通の人生を歩むのは嫌だった。自分らしいと思える特別な経験を積みたいと思った。曲がりくねってもそれが美しいと思えるようになっていた。

違う道を選ぶからには逃げられない。退路を経って覚悟を決める勇気を持った。退路を経って飛び込んだからには、何が何でもやった。そして、やればできた。

こうした選択が自分らしさと自信を育ててくれた。人生で一番、素直な自分になれた。「自分の人生を生きている」と感じるようになった。大義名分が無くても生きていける。

キャリアはめちゃくちゃ。でもちゃんと生きてる。

こんな生き方も、既定路線に馴染めない誰かの心に寄り添えるんじゃないかと思った。

誰かを変えよう、何とかしてあげようなんておこがましい。自分の選択や生き方に触れた誰かが、ポジティブなものを受け取ってくれていたら嬉しい。その程度でいい。

私が近くにいる誰かに与える影響が、その誰かを通じてさらに周囲の人に広がっていくのだとすると、目の前の人に向き合うことが、やがて世界を変える力になるのかもしれない。

・・・・・

はい、本日もありがとうございました: )

おしまい。