【エッセイ】不惑



本日、俗に不惑と呼ばれる年齢に達した。

「不惑」というのは論語が出典の言葉である。
曰く「我、四十にして惑わず」とあることから来た言葉である。

惑わず、かと思ってしまう。
翻って、筆者をふりかえってみる。惑ってばかりである。

今朝なども、体重計の数値が上昇したことに苦悩していた。
来週の月曜からの出勤も憂鬱である。

果たして人間にとって「惑わない」ことなど可能なのだろうか。
そんなことまで考えてしまう。
これまた一つの「惑い」であろう。

一方で、論語の表現は理想を述べたものとして捉えることも可能である。
「四十になったら惑わなくなりますよ」という話ではないのだと思う。
むしろ、「四十になったらあれこれ惑わないのが理想ですよ」みたいな意味なのかもしれない。

そう考えてみると、あれこれ惑ってしまう年頃であるからこそ、「惑わないことを目指しましょう」的な捉え方には意味がある。

いくつ歳を重ねても愚かなままの筆者である。
しかし、「惑わないようにする」という目標をかがげることは可能だ。

今年はひとつ「不惑」を「目標」に設定したいと思う。


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