藤浪すみれ

Fラン大学文学部で時間を持て余しているので、自分のことについて書いています。

藤浪すみれ

Fラン大学文学部で時間を持て余しているので、自分のことについて書いています。

最近の記事

デリカシーのなさも個性なので尊重しましょう

中学三年の頃特に言われた記憶があるのだが、 「この時期は受験が終わってる人もいますが、当然まだ終わっていない、まだ必死に頑張っている人がいます。受験の時期は皆ナイーブになっているのでどんな言葉が友達を傷つけるか分かりません。」 「思いやりの気持ちをもって、言動に気をつけましょう。」 おそらく三年の三学期になると学年集会などで決まって指導されることだと思う。 私の中学時代はたしかにみんな思いやりを持って友達を気遣っている人が多かったように思う。普段ふざけてばかりの男子が、進路

    • 絶対に登校したくない

      緊急事態宣言が解除され、在宅勤務を続けていた社会人は即出社することになり、今朝の通勤電車は久しぶりに満員だったらしい。 私は今年大学4年になり、GW明けから始業した大学の授業はすべてオンラインで受けている。 オンライン授業ははじめこそ色々なトラブルがあったが今では教授側も学生側も慣れてきて、今まで一時間半かけて大学に通っていた意味は本当に何だったんだ…と思っている。 もちろん通わないとできない授業もあるため一概には言えないのだが、講義の授業なんかは一方向型のオンライン授業で

      • マッチングアプリの話

        わたしは今まで彼氏ができたことがない。でも生まれつき世の中を達観しているような顔をしているせいで、経験豊富そうに見られることが多い。 恐らくそういう見た目なことも彼氏ができないことの原因の一つだと思うし、彼氏ができない原因をそういう不可抗力なもののせいにしていることも原因の一つだと思う。 とにかくそんな残念な人生を20年くらい送ってきたのだが、そろそろまずいんじゃないかと思い、恥ずかしさを堪えながらマッチングアプリを始めた。 始めた当初は恥ずかしくて、負けた気がして、こん

        • 死について

          前回に引き続き父親の話をしたい。 父親がどんなクソ人間かはひとつ前の記事を見ていただければわかると思うが、一応書いておくと、 娘の誕生日や進学した大学などに興味がない。家のものを片っ端から食い散らかすなど、家のルール(というか生活の仕方)が分からない。しかし両親は離婚しておらず、父親は、戸籍上のみの父親、家にいる他人として扱われている。糖尿病を患っている。 という感じです。 最近わたしはこんな父親が死んだらどうするだろうか、とよく考える。 理由としては大学で震災文学を学び始

        デリカシーのなさも個性なので尊重しましょう

          桜の樹の下には

          いとこが国立大学に合格した。 母方の親戚はみな”いい家族”である。 わたしの母が長女、そして弟が二人(わたしにとっての叔父)。 祖母は数年前に亡くなってしまったが、祖父は今も元気で、二番目の叔父家族と暮らしながら詩吟やゲートボールを嗜んでいる。 今回国立大学に合格したいとこは、二番目の叔父の娘である。 ”いい家族”の定義はなかなか難しいものであるが、少なくともわたしの家は”わるい家族”である。 母に関しては非常に”いい家庭”で育っているように思う。祖母も祖父も仲が良く、叔

          桜の樹の下には

          靴紐とウンコに因果関係はあるのか

          今日は靴紐を結ぶために突然しゃがみだす人を連続で二人見た。 こう同じ光景を意図せず短時間で何度も目撃してしまうことがわたしはよくある。 つい先日までは、散歩中の犬が突然力み始めてウンコをするという光景を、外出すると必ず一回は見た。ひどいときは、「あ、またウンコだ」と思い道角を曲がると、曲がった先で別の犬が踏ん張り中だったりした。 単にものすごく犬の数が増えているのか、犬が家では落ち着いてウンコができないのか、とにかく何が理由かはわからないのだが、一か月間くらいその奇妙な習慣

          靴紐とウンコに因果関係はあるのか

          「普通」という苦痛

          初めてnoteで文章を書く。 1999年、2月26日。わたしは生まれた。 生まれも育ちも東京の田舎、可もなく不可もない、中途半端な場所で20年生きた。 幼稚園年少のころの将来の夢は「いちご」。年中は「ぶどう」。 わたしはこの回答をした時の自分をよく覚えている。記憶している限りでは、「いちごやさん」「ぶどうやさん」になりたかったのだ。 いちごやさんやぶどうやさんを見たことはないだろうに、八百屋のような店構えでパックのいちごやぶどうだけを売っている風景が、そのころ何故か頭に張

          「普通」という苦痛