靴紐とウンコに因果関係はあるのか

今日は靴紐を結ぶために突然しゃがみだす人を連続で二人見た。

こう同じ光景を意図せず短時間で何度も目撃してしまうことがわたしはよくある。
つい先日までは、散歩中の犬が突然力み始めてウンコをするという光景を、外出すると必ず一回は見た。ひどいときは、「あ、またウンコだ」と思い道角を曲がると、曲がった先で別の犬が踏ん張り中だったりした。
単にものすごく犬の数が増えているのか、犬が家では落ち着いてウンコができないのか、とにかく何が理由かはわからないのだが、一か月間くらいその奇妙な習慣が続いていた。
そしてやっと犬の排泄シーンを目撃しなくなったと思ったら、つぎは「妖怪靴紐結び」である。

わたしの人生は特に物珍しいエピソードがないのだが、代わりにこういう、話す方も聞く方も何のメリットもないようなエピソードがごまんとある。
否、わたしはこういう細かい出来事をうまく消化できないのかもしれない。ほかの人が、「まあいいか」「どうでもいいか」と思うことを、わたしは随時蓄積してしまっているような気がする。

たとえば、高校のときの担任教師と雑談しているとき、ほかの話題でざわつく教室の隅で、突然声を潜めて
「釈由美子とGACKTは同じ病院で整形していると思うのよね。同じ顔しているもの」
と言ったことがあった。
それからというものの、釈由美子かGACKTのどちらかをテレビで見る度にそのことが頭をちらつく。もはやわたしのなかで釈由美子とGACKTはセットだ。どちらか一方を思い出すとき、必ず一方も顔を出す。
こんなくだらない雑談のせいで、わたしは今後の人生ずっと、釈由美子かGACKTが活躍する度にこのことを思い出すのである。

まあだからといって生きるのに支障はないのだが、不満がないわけではない。
わたしは中高生のころから「もっと本音を言ってほしい」とか「考えていることがあるならいってほしい」などと言われがちであった(そういう悩ましげな顔をしているのだろうか)。
しかし実際のわたしは本音も建前もなく、道を歩いていたら「あ、犬だ。今にウンコし始めるぞ…」と考え、テレビを見ていたら「釈由美子…GACKT…」などと考えているだけなのである。
それをまるで今の環境に不満があるかのように捉えられてしまうのは少し不憫だ。

初めての投稿で散々自分を「普通」だと言っていたにも関わらず、今回は「変わってる」ところについて書いてしまったが、ただ「普通」なことのエピソードを毎度書いても面白くないだろうと思うので、これはこれで良しとしよう。

追記:
「犬が家では落ち着いてウンコができないのか…」と書いたが、実際に知人の家の犬は家ではウンコできず、ウンコをさせるために散歩に行くらしい。つまりわたしが先日まで、街でウンコをする犬をよく見たのは、「外でしかウンコできない犬」の数が増えているからだと言えよう。
となると、今は「靴紐がほどけやすい季節」なのかもしれない。


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