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ナイアガラはまだそこにあるか

初めてナイアガラの滝に心奪われたのは、中学一年生の英語の時間だった。
「Hello,Nancy」「Hello!Ken」
から始まる2人のやりとりが続いていた英語の教科書の中だった気がする。
ケンが、ナンシーにナイアガラの滝に連れて行ってもらって
「This is Niagara falls!」「Wow!It's beautiful」
みたいな例文を読んだ記憶があるような、ないような。

その教科書に描かれた、簡易的なナイアガラの滝の絵を、なぜか私は10年経っても15年経っても忘れられずにいた。

学校がつまらない日も、バイトがキツイ日も、社会人になって課長の悪口を言っている日も。
世界三大瀑布と呼ばれるナイアガラの水は流れ続けているし、私の中のケンは「ビューテホー!」と叫び続けているのだなと思うと、どうしてか心強く思えた。
いや、ケンについては、あの教科書の単位が終わった時点で忘却していたが。

とにかく心のどこかで、私はいつかナイアガラの滝を観に行くのだろうと、ずっとそう思っていた。
そう中学一年生のあの時、私はしっかり予感していたのだ。
人生の重大なその時に、私はあの滝を観るのだと。

いよいよナイアガラの滝を観に行けることになったのは、新婚旅行だった。
あの簡易的な絵には運命を感じたが、そういえば夫に初めて出会った時は、予感どころか「自分の珍名を棚に上げて私の苗字にとやかく言うヤツ」という気持ちしか抱かなかったのだから、予感というのはなんとも曖昧な物だ。

28歳になっていた私は、念願の滝を前に心底震えた。
カナダ側からの滝だった。

これが、教科書で見たナイアガラの滝。
テレビでも何某かの写真でも見た気はするが、教科書の絵が私をここまで連れてきたのだ。

圧倒的水量、圧倒的スケール、
「Wow!it's beautiful!」
ケンはどれぐらいの声量で言ったのだろう。
あの時、クラス中でお経のように棒読みしていたbeautifulに、初めて温度が宿った気がした。

そんな感動で震える私にツアーガイドさんは冷静に言う。
「水の勢いにより、滝は年間で3センチほど侵食による後退をしてしまいます。
 この地域は、ナイアガラの滝による観光で成り立っておりますので、50年後、100年後もこの場所に滝がなくてはなりません。
そこで、上流にダムを作り、夜間や閑散期などに水量を調節して、侵食を防いでおります」

……!! 
なんてことだ!
くやし涙で前が見えなかったあの時も、鼓動が激しくて眠れなかったあの時も、絶えず水は流れていると信じていたのに、人工的に調整されていたなどと…!
圧倒的大自然に、すでに人の手が介入していることに俄かにショックを隠せなかった。
しかし、この水量をコントロールしようという人類の叡智にもまた震える。

「そして、年間で何十人もここで人が死にます。自殺の人もいますが、とにかく悪ふざけの人が多いです。大丈夫だからと策を超え、うっかり滑り落ち、滝つぼから水面に上がることが出来ず、ずっと水中で回転し続けて、発見されるのは三日後か一週間後か、一ヶ月後か…」

説明が懇切丁寧すぎた。
圧倒的大自然に感動していた私の脳内に、滝つぼで回転する人物の映像が付け加えられてしまった。

鉄板のネタなのだろう、ガイドさんはとても満足気な顔をして他の人にも同じ説明をしていた。人がゴミのようだと高笑いしていたムスカ大佐を感じさせる。
とにかく大自然を前に調子に乗ってはいけないということだ。

夜になると、ナイアガラの滝は虹色にライトアップされた。
「今日は花火も上がりますよ」
私と夫は、買ったばかりのビデオカメラを手に、その時を待った。

ドンッ

花火の上がったその瞬間、滝の裏側で寝ていたカモメだろうか?鳩だろうか?
腹の底に響くその音に、驚いて何百という鳥が一斉に飛び出して滝の周辺を飛んだ。

あの光景を、私は今もずっと忘れられない。

ライトアップのための虹色の光が、白い鳥に反射して、まるで花吹雪のように空を舞っていた。

鳥たちにとってはいい迷惑でしかないのであろうが、その光景は繊細で鮮明にそして丁寧に彩られた絵画のように私を魅了した。
「わぁ…」
息を呑んでしばらく空を見上げた。
花火と滝と光を纏う白い鳥たち。

ふと手元を見ると、ビデオカメラは0:00のままになっていた。
あれは、本当に夢だったのかもしれない。

滝の裏側を歩いたり、船に乗ったり、アメリカ側まで行ったり、ロブスターや白ワインも楽しんだはずだ。
そのどれも朧げな記憶となっているのに、ビデオに撮れなかったあの瞬間だけが、妙に鮮明で、それなのに夢との境目を感じないのが不思議だ。


大阪文フリの時に、紫乃さんと紫乃さんのダーリンゆうさんとお話しをしていて、滝の話になった。
その時、ナイアガラの滝ことを思い出した。
やっぱり私には、中学生の時に英語の教科書に出てきた簡易的な絵がまず浮かぶ。
それから、色とりどりの光を纏った鳥たち。
自然と人工物が織りなす光景。
そしてやっと圧倒的な水量が音を立てる。

あれから20年近くが経った。
今も滝は、時々水量を変えながら、観光業を守り電力を生み出し、幾人かを飲み込みながらそこにある。
鳥は、まだ花火の音に驚いて飛ぶのだろうか。

Hello,Nancy!
ナンシーは今の中学英語の教科書にも存在しているだろうか、流石にいないか。
ケンは国際的に活躍する大人になったかな。あと、いま調べたら、ケンじゃなくてタケオが圧倒的に出てくるんだけど、ケンもいたよね?
彼らが今も、誰かをナイアガラに連れて行ったりしてるといいのだけれど。





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