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意外と難所な峠(その1)(東海道を歩く10)

台風一過のこの日は、とりわけ暑い一日でした。身の回りがあわただしく、日常の些細なことが気になってかけるのもおっくうになります。今回、静岡にむかうのは普通列車ではなく新幹線で向かいます。4時間位かかるはずの行程が、1時間で到着します。 降りた静岡の駅は、大都市の中心駅らしく人でごった返していますが、それでも都内ほどにあわただしく殺伐としていなくて心地よいいのがうれしい。静岡鉄道の新静岡駅ちかくにあった、前回の終点であった本陣跡を探します。この静岡鉄道という会社は、いち地方企業ながらも、鉄道をやりながら、系列企業には、バスも、不動産もあって、そこそこあかぬけたスーパーもあり、かつては沿線に遊園地も持っていました。どこか大手私鉄のミニチュア版みたいな企業です。  

よくながめると、山岡鉄舟と西郷隆盛の会見の場という碑があるのに気がつきました。攻めあがり東上する軍は静岡に。徳川慶喜の身柄を拘束しようとする西郷に、山岡鉄舟はそれをしてはならんと反論したそうです。徳川を慕う者たちがだまっていない。争いになるだろうと。江戸城の無血開城がされた遠因には、ここでの西郷と山岡の会見があったから。との見立てがかかれています。歴史的な由来から、いまでも静岡は徳川びいきの土地柄だと思いますが、静岡での徳川はどこか人間的なお殿様の顔をしています。広大な江戸城の威圧感から感じる権力者としての顔、杉並木の果てにたどりつく荘厳な日光東照宮での神格化された顔と違っています。

この市街地の中では、東海道は鍵状に曲がっていて正確に跡をたどろうとするとすぐに迷います。いまでは、なんの変哲もない商業地や住宅地です。駅から遠ざかっても賑やかな商業地が続いていて、いままで通り過ぎたどの街よりも巨大です。視界が開けるとまもなく安倍川にさしかかります。川沿いには安倍川餅のお店が2件ほどあるのですが、店は閉まっています。思ったより幅の広い河原です。  安倍川を渡った先も同じように住宅地が続き、あっというまに丸子宿にたどり着きました。山間の小さな集落を予想していたのですが、実際にはなんの変哲もない住宅地となっている姿に拍子抜けします。それでも、歩き進みかつての宿場町の中心にたどり着くと、せまい道幅の両脇に、家々が軒を連なっている宿場町らしい独特の景観に変わっています。

 この丸子宿でのおめあては、歌川広重の東海道53次の画で描かれていたとろろ汁のお店が営業していて、その店に行くことです。もちろん、この日はあまりに暑く、ともかく休憩したいという気持ちが一番強い。 中に入ると思いの外に広いお店です。とろろ汁定食を頼むと、シンプルなとろろと、麦飯、味噌汁の組み合わせ。けれど直ちにエネルギーがほしい歩き旅の昼食にはぴったりともいえるでしょう。昼飯を食べしばらく涼みます。店を出て振り返り店をながめた構図が、広重の絵のまんまです。店をすぎてを渡ると、人家が途切れ途切れになりバイパス道と合流します。アスファルトの地面からのてり返しと、直射日光をもろに浴びて、この時期のこういったバイパス道を歩くのは体力を奪われます。  左手に道の駅が見えるあたりで、バイパス道はトンネルを潜りますが、旧道は右に離れます。少しですが日陰もあって、すこしだけ涼しくなりました。

宇津の谷と呼ばれる峠越えの道が始まります。峠越えを前にして狭い道に家々が並んでいる小集落の風景は、街道歩きで好きな景色のひとつです。いくつかの坂をのぼって本格的な山道に入ります。ぱっと見は、それほどきつい山道には見えなかったのですが、この日の天気や気温の影響からか、とりわけ上り坂がきつく感じます。息を切らしては休んで息をととのえ、また歩きだす。その繰り返しでようやく峠の頂上に着きました。木が茂る峠の頂上の視界はあまり開けません。  あれほど苦労して上りながらも、下り坂はあっというまに降りてしまいます。山を降りてしばらくは、ぼんやりした集落を歩き進み、岡部宿に到着します。この岡部宿のまんなかには、旅籠柏屋という古い建物が残されていて中に入ります。

ボランティアの人に説明してもらいますが、汗だくの姿をみかねて、冷水をくださります。ほんとありがたい。  さて、この旅籠は、武士階級と庶民階級をともに受け入れてきた、これまでみたなかでは珍しいタイプの旅籠です。もちろん、武士と庶民が枕をならべるなんてことはなく入り口も部屋も別々、敷かれた畳も侍向けの間は縁があるし、庶民向けの畳は縁なしのもの、細かいところに差が付けられています。一階の裏手に回ると、庭園と池があり鯉が泳いでいます。ほかに誰も見学客はいないので、縁側に腰掛けてしばらくぼんやりとしていると、ときどき涼しい風がながれてきて、厳しい宇津の谷峠を越えて、へとへとになった気分を落ち着かせてくれます。  わたしの子供の頃、親類に裕福な家があり、ときどき伺うことがありました。その家には広い庭があって、珍しい鳥を飼っていて、庭のまんなかには大きな池があり、鯉がたくさん泳いでいます。わたしにとってお金持ちのイメージは、この場所のような池と鯉のある広大な庭を持っているかどうかというのが基準になっています。庭もない池もないマンション住まいでお金持ちというのは、いまだにイメージがわかないのですね。 休憩したあと先に進みます。岡部宿のメインストリートは寂れてはいないけれど静かなものです。少し外気が涼しくなり気分良く歩け、宿場の終わりには石碑があります。かと思えば、渡った先には別の村の入り口と出口を示す石碑があります。どうやら、このあたりだけ飛び地のように、遠方の藩の領地となっていたようです。現代の自治体とは違って、江戸の藩というのはもれなくすきまなく分けられているのではなく、ほとんどの藩には、領地が飛び地になっていました。ここのように遠く離れた遠国に飛び地を持っていることもしばしばでした。江戸幕府が倒れて150年たつとはいっても、その痕跡は残っています。  藤枝の市街地にちかづくと、ごくあたりまえの郊外住宅地の風景にかわります。歩けば旧いアーケード街が現れてきて、そこが藤枝の宿場になります。例に漏れず、ここでもシャッターが目立つ商店街になっていますが、それでも落書きもなく全体はきれいに整えられているので、かろうじて廃墟とはなっていません。街のまんなかには公園があります。休憩するために向かいます。

蓮華寺公園という公園はこぎれいに整えられた公園でした。地面は芝生で覆われていて、なぜか多くの住民が訪れています。皆が、スマホを一生懸命操作しているので、おそらくポケモンGOでもみているのでしょう。隣には、年寄りの男性3人がおしゃべりをしています。 まだ暑いのですが、風も適当に流れてきてわずかながら涼しくて、この日の藤枝の街は心地よい場所でした。東海道という交通の大動脈上に位置しているせいかもしれませんが、これまでの静岡の旅では、たとえば廃墟がならび落書きが目立つような、殺伐とした景色にまだ出会っていないのが不思議なくらいで、とても楽しく歩けています。今回の歩きは久しぶりの泊まりがけの行程です。藤枝駅前の宿に向かいます 。

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