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どこからでも見える(東海道を歩く7)

 前回の行程は小田原から箱根までの上り坂でした。そして今回は箱根から下り静岡側に降りる行程です。

ゴールデンウィークのこの日、小田原で乗ったバスは、普通なら関所まで通じるところが元箱根で運転が打ち切りで、元箱根から箱根関所までは再び前回も歩いた杉並木を歩きます。どの停留所にもバスを待つ観光客が見えます。ここでは、訪日外国人観光客を相手に、小田急で発行している箱根フリーパスが伊豆箱根バスでは使えないことを説明するのも運転手の主な仕事となっています。到着した元箱根のあたりは観光客でびっしりで、静かに歩きたいのにこのような観光地の喧騒は少し苦手です。
それでも、途中の杉の木のすき間から見えた真っ白な富士山の姿は神秘的で、これは信仰の対象となるのがよくわかるような気にさせられます。

混雑のせいか思ったより着くのが遅かったことや、喧騒から逃れたいこともあって速足になります。幸い、関所あたりの交差点をひとつ外れると、うそのように静かになりました。
近くには駒形神社という神社があって、そのわきの坂道を上れば、再び石畳の道が始まります。少しばかり坂を上ると道の駅にたどり着きます。このあたり、どうやら箱根新道と国道のぶつかるところで、いったい旧道はどこなのか?わからなくなる場所です。しばらく迷ってもわからず、けっきょく車道と方角を頼りに進めば、ようやく旧道らしき場所の案内が見つかりました。どうやらここが「箱根峠」であることもわかりました。

このあたりで、来た道のほうを振り返ると、駒ヶ岳でしょうか?大きな山が正面に見えて、これも眺めて楽しい景色です。箱根そのものは何回も来たことがある場所です。社員旅行やデートや家族旅行なりと、その時は観光スポットを通り過ぎて何の感慨も起きないのですが、この日見る箱根の山は新鮮に見えて、景勝地としての箱根というのを面白く再発見しました。
しばらく行くと、再び石畳が始まります。入り口には京都まで100里との碑が立っています。反対側には日本橋へ25里とありますから、だいぶ進んだなと思いながらも京都まではまだまだ遠いなと思います。

その石畳はかなり急な下り坂で、スピードを緩めるには踏ん張らなくてはならず、かえって力が必要となります。踏ん張るのも嫌になるくらいになって、だんだんと足の動きは加速するままに任せて、とりあえず転ばないように足先のみ気を付けるだけになります。もっとも、後で思い起こせばこのせいで、後々のダメージになったわけですが・・・体感的には、
上り坂の石畳よりも、この下り坂の石畳のほうがかなり長く感じました。
この下り坂の道が落ち着いたころに、山中城跡という案内が沿道に見えました。後北条氏が建てた山城の跡だそうです。これを建てるため、地面を整形した跡が復元されてくっきりと残っています。その敵から防御するための空の堀の形状を面白く眺めていました。東海道には関係なく、この城跡を目指して訪れる観光客でそこそこにぎわっています。

山中城を過ぎると再び石畳に入ります。石畳もだんだんとうんざりするようになってきました。ここまで歩いてきて、それぞれの石畳も、整備されたものもあれば、いったんは整備されたけれど、その後に放置され荒れているものと様々あります。歩きやすいように平べったい石が敷き詰められているのもあれば、丸っこい石が敷き詰めらた石畳もあります。
東海道のそれも箱根は別格で、これまで歩いた他の街道より保存の手が手厚いように思います。

車道とぶつかったところは富士見平という場所です。どうやらこの先は工事中らしく旧道を歩くことはできませんでしたが、ここでも富士山が顔を出しています。
ここから先にも、富士山のよく見える場所がありました。大きなつり橋が見えるその場所は三島スカイウォークと呼ばれるスポットになっていますが、渋滞するマイカーと大駐車場の姿をみてすぐに退散します。さいわい、この喧騒から逃れた先の集落が、往時の雰囲気を残していて、歩きながらなごむような場所でした。
だんだんと、歩く場所も高度を落としています。いつのまにやら尾根のような場所を歩いていると、右を向けば富士山が見え、左手には駿河湾が見えるようになりました。
そして、前方には三島の街も見えるようになっています。

この日、三島までの下り坂でそれぞれの場所から眺めた富士山は、ほんとうに面白かったのです。葛飾北斎の有名な「富嶽三十六景」のことを思い出しました。このシリーズでは、必ずしも富士山がまんなかに居座っているわけでなくて、人々のいろんな風景や光景の後ろに富士山がすっと入り込んでいる絵が多い。そしてどの絵柄も同じではなく違っている。この日に眺めた富士山の景色もこれとおんなじで、通り過ぎたそれぞれの地点からそれぞれ眺める富士山は、まわりの風景との関係からどれも違った姿に見えるのです。本当にこれがおもしろい。

さて、東海道線のガードをくぐり抜けると、三島の街に入っていきます。その三島の町の中は、「三島大社」の広大な敷地が町のまんなかを占めています。三島大社を訪れるのは2回目で、源頼朝にかかわりが深いせいもあるのでしょうか、この神社では「天皇陛下や国家を敬いなさい」といった押しつけがましいメッセージが少ないことに好感をもっていて、わだかまりをもたずにお参りできる神社だと思っています。ちょうど改元も近いこともあって、神前結婚式をあげようとしているカップルも複数いました。
この三島大社がまちの真ん中にあって、三島の市街地も多くの観光客でにぎわっています。ウナギが名物なのでしょう。ウナギ屋から香ばしい香りが流れてきて順番待ちの客も並んでいるのですが、値段が高くてちょっと自分には手が出せないなあと思いながら通り過ぎます。そんな三島の街中でも、交差点のすき間や建物のすき間から、富士山がながめられるのがとても面白い。街中をしばらく行けば、右手に伊豆箱根鉄道の線路と三島広小路駅が見えます。小さくて古ぼけた駅にはこれまた古ぼけた地元商店の看板が並んでいる。その雰囲気が、首都圏ではもう見れない昔ながらの典型的な私鉄の駅のたたずまいで、とても懐かしくながめました。
 はて、昼飯を食べようにも、あまり選り好みしているうち三島の市街地をぬけてしまいました。あたりは住宅地になってしまい。食堂もみえなくなり困り始めたのです。あたりをうろうろきょろきょろ。一軒の中華料理屋が見つかりました。小ぎれいな店ではないことに少し不安を感じながら入ります。
そこは、年配の夫婦でやっている店でした。座った席から店内を眺めると、壁に主人が手書きで描いた東海道の地図と、沿道にある旧跡の解説が見えます。感心しながら眺めていると、いでたちから察したのか「東海道を歩いているのですか?」と尋ねられます。歩いていると答えると、箱根のさまざまな石畳や、沿道の旧跡を写真に撮り手書きでまとめた冊子を見せてくれました。とりわけ、今日歩いてきたいろんな沿道の石畳がそれには詳しく書かれてて、へえと感心しながら眺めていました。
 このように地元のひととときどき行き会って交わす会話は、街道歩きをやっていて本当に楽しい時間です。ときどき、ひとりで歩いているとひと恋しくなります。そんな頃にぼそぼそっと知らない人と会話をする。日常生活の会話でよくある、上下関係を気にしたり相手との依存関係や指図といった力関係はこういった見知らぬ人との会話にはなくて、つかずはなれずといったさっぱりした関係がとても心地いいのです。
 三島までの変化にとんだ山道に比べると、沼津までの住宅街の道を単調に感じるのはしかたないところかもしれません。それでも、一里塚がきれいに復元されていたり、丁寧な案内板があったりと、この近辺の東海道はとても歩きやすくてわかりやすい道です。神奈川県から静岡県に入ったこととも関係があるのかもしれません。

さて、黄瀬川の橋を渡ると沼津の街に入ります。沼津の市街地はとても大きくて、広い道路と屋根の付いたアーケード街や広い歩道から、周辺の中心都市であることが一目瞭然です。しかし、残念なことにシャッター通りと化した商店街には人が歩いていません。先週おこなわれたのだろう市議会選挙の候補者の選挙事務所は、まるで廃墟のような旧い建物に入っていて、そこには「ぬまづ再生」と書かれている。そしてさびれた商店街の看板には「静岡で一番にぎやか・・・」と描かれています。「冗談にも程がある」「カラ元気にも程がある」などちょっと呆れた気になります。ここ沼津の街は戦災で焼けてしまったせいか旧いものはなくて、宿場であったことを示すのは、わずかに本陣跡とかかれた碑のみです。近くにある乗運寺はきれいに整えられたお寺です。若山牧水の墓が境内にありました。

下り坂で思った以上に足を酷使したのでしょうか、さきを歩く体力はもう残っていませんでした。この日の歩きは沼津でおしまい。海が見たくなり帰りがけに近くの千本松公園に立ち寄ります。この日あれほどよく見えた富士山は、すでに雲に隠れてしまっていましたが、東京湾よりも相模灘よりも広くて深い駿河湾の海面を眺め、ようやく関東から離れたことを実感しました。 


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