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いない熱帯魚


「AV女優になっていなかったら、何をしていたと思いますか?」


 この仕事をしていて、とてもよく聞かれる質問だ。
 周りの同業の女の子たちはキラキラと輝く目で、アナウンサーとか、お嫁さんとか、看護師さんとか、思い思いに想像したパラレルワールドの自分を語る。
 私はと言うと、大したものになっていなかっただろうな、と思うだけだ。強いて言えばフリーターだろう。アルバイトだってろくに続きやしなかったけれど。

 いつもより時間と体力のいる内容のAV撮影をしてくたくたになって帰宅した深夜、もう何もしたくない、明日も早起きして続きを撮るなんて信じられない……と打ちひしがれながら玄関のドアを開けると、自動で点くはずの電気が点かなかった。まさかと思いスイッチを入れても、家中どこの電気も点かない。察した通り、ポストには「送電を停止しました」と書かれた紙が入っていて、3ヶ月分の電気料金を払っていなかったことを知る。
 公共料金を払い忘れ続けて供給停止をされるのはいつものことだったので、冷静に対応するけれど、さすがに今日はやめてくれ、と思った。お金がなくて払えないのではなく、払えるくせに払い忘れるからたちがわるい。見かねた友達に「口座引き落としにすれば?」とアドバイスをもらうも、今度の休みこそやろう……と思ったまま忘れてはタイミングを逃しいつまでも銀行に行かない。
 疲弊しきった身体に覆いかぶさる暗闇は、私の精神の未熟さの証左なのだった。

 コンビニで支払いをし、ついでにカップヌードルチリトマト味を買ってお湯を入れる。3分タイマーをかけてから家路につき、陸橋の真ん中でタイマーが鳴った。家まで帰るにはまだここから4、5分はかかる。それではせっかく食べごろになったチリトマトが不憫だと思い、陸橋の欄干をテーブルにして、流れるテールランプたちを賑やかしに立ち食いをした。幸いここには誰もいない。陸橋には遠くまで照らせるように光量の強い街灯が立っている。オレンジの光がすべてを照らす。温かいチリトマトが湯気を出し、眼鏡が曇っていく。この街の夜はきれいだ。私がどんなにだめな大人でも、美味しいとか眩しいとか綺麗とか、そういう感覚だけは冴え渡るようにつくられている。

 自宅に戻り、東京電力に電話する。時刻は2時過ぎ、火事や緊急時以外の対応はとっくの昔に締め切られていた。だけれど私は今夜中にせめてシャワーを浴びなければ、明日の現場に向かえない。一刻も早くきれいになってそれから一眠りしなければ、社会人として失格なのだ。東京電力のコールセンターには毎晩一人、深夜番がいる。何ヶ月か前に同じように深夜に送電再開の電話をしたから覚えていた。夜通し会社で電話を待って、私のような阿呆の相手をしなければいけないとは、難儀な仕事だと思う。たいへんなぶん、どうかお休みの日には幸福に過ごしてくださいね……と、会ったこともない深夜番の人に祈りながら電話をかける。苦労した人ほど報われるのなら、今日の私は撮影で殊更苦労した。監督の顔が怖かった。エキストラが不真面目だった。とにかく私はあったかいお湯を浴びて幸せに眠る権利があるのだ!

「あなた、前回も深夜に無理やり送電再開したでしょ。そのとき次回から夜9時以降は無理だって説明しましたよね。朝まで待ってください」と深夜番は言い切った。さっき幸福を祈ってやったのに……! と、彼への祈りを取り下げながら思う。「どうしてもダメですか?」「さっきまで仕事で、帰った時点で夜9時は過ぎてたので無理だったんです」「すごく疲れてて、お風呂も入りたくて……」「ほんとうにどうしてもだめですか?」「前回再開できたということは深夜帯に供給再開の操作がシステム上不可能というわけではなく、あなたの采配によっては可能だということですよね?」「本当に次からはちゃんとしますから!」「お腹が空き過ぎてさっき道でカップヌードル食べたんですよう」「明日も早いんです……」「はやく寝たいのでお願いします!」「深夜なのに電話番大変ですよね……ご苦労様です」「本当の本当にダメですか?」「実はうち、熱帯魚飼ってて……これ以上電気がつかないままだと、水温が下がって魚たちが死んじゃうんですよ」

 終わらない問答の末、熱帯魚への同情心を煽り無事電気は再開された。温かいシャワーを嚙みしめる。架空のグッピーやカクレクマノミたちに感謝して、すっかり温まってから眠りについた。魚を飼ったことは一度もない。

 私は全然いい人じゃない。いい人だったら、もっと人に迷惑をかけないで生きていけるはずだ。イヤフォンの音楽に酔いしれて電車を乗り間違えるなんてざらだし、書類はいつも読めなくて誰かに要点を説明してもらう。
 掃除と洗濯が苦手で、洗い立ての洗濯物を干している時なんか苦痛で顔が歪んでしまう。生活能力が著しく低い。いつまでも上手に大人になることができないから、AV女優という極端な仕事はどこか気が楽なのだった。

 世間の目や、美容院や整体で職業を聞かれると噓を答えてしまうこと、普通じゃない職業についていることによる弊害は色々あるけれど、それでも月に一度AV作品を撮影して、それによって得た多少のゆとりがある収入で、そのほかの日々を思いのままに過ごす。仕事が楽しければ撮影やイベントなどどんどん仕事をすればいいし、今みたいに本を書いたり映画を監督したりする時間の余裕も、会社勤めをしていたら確保するのが難しかっただろう。
 AV女優は特殊な職業だけれど、身体の視覚的消費を売りに出すこと自体が珍しいというだけで、本当は誰もが自分の時間や労働力、正確さや勤勉さやアイデア、身体と心と時間のどれかあるいはいくつかを売りに出すことで社会に所属している。
 そのうちの、どれならば差し出せるか、どういう業務のためならば差し出しても構わないか、どれだけの賃金と交換ならば差し出せるか、どの種類の苦痛ならば我慢ができるか、そしてどの種類の対価が欲しいのか。そういったものを個人の適性に合わせて選択することが、労働なのだと思う。
 AV女優は労働者だ。私は一般職に適性がない自分を知っていて、自分でもなんとかやっていけることを探して、今のスタイルになっている。暮らしには歴史が現れる。その人自身が現れる。AVに出演して貰った、二十代の女の子が得るには少し多めのお金を、自分の毎日をいい感じにカスタムするために使う。
 映画の制作費の足しにもなる。突然思いたったら旅行にいける。特別辛かった撮影と引き換えに得たギャランティで、欲しかったバッグを買う。私の苦痛の記念碑は、派手で可愛いバッグになった。ちょっとへんな生き方だけれど、自分で自分に納得している。自分の暮らしに、自分で納得することができるのが「大人」というのならば、もしかしたら私は実は大人なのかもしれない。

 そして、私たちは自分の日々の労働や、過ごし方に折り合いをつけながら、歳を重ねていく。若さはちょっと恥ずかしい魅力だから、私は歳を重ねることが好きだ。生きれば生きるほど、自分にとって何が大切なのかが解かっていく。歳をとればとるほど、何者にでもなれるようになる。若い方がいいとか、未来がたくさんあるほうが偉いとか、女は若い方が価値があるとか、全部ただの聞き間違いだ。魂が無駄なく削ぎ落とされていく。いろんな景色を見てきた後の瞳の方が、色っぽいことを知っている。
 歳をとることは、本当にいいことでしかないな、と思う。自分にとっての理想の「大人」の姿を、私たちはこれから、もう「大人」になってしまったという人さえもまだこれから、探し出しにいくのだから。

 大人になるということは、聞き分けが良くなることじゃない。まだ幼くて力や言葉を持っていないから捨てなければいけなかった自分らしさを、見つけに行って抱きしめてあげられるくらいの、鋭く、したたかな眼差しを手に入れること。
 自分のことを、他人のものさしではなく自分のものさしで、ちゃんと測ってちゃんと見つめて、好きとか嫌いとか、その両方の感情をもった愛で受け入れてあげられるようになること。そういうことを、「大人になる」という言葉の定義にしてしまいたい。ずっとそう思っている。


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最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

この文章は、まもなく発売になるわたしの二冊目の書籍の一節です。こうして、どこをみんなにいち早く読んでもらおうか、と考えながら読み返していると、わたしは結構この本のことが好きなのだと気が付きました。胸の奥がひりひりとする感覚を味わいながら書いた一冊です。そのせいか、表紙の真っ赤な本になりました。


 SNSで死なないでという投稿をしてから、私は人へのものの渡し方について散々考えながら、いっそう、140文字ではなく余計な言葉をいくらだって用いてあなたにいつか読んでもらうようなことのほうが自分の身にあっているような気がしてきたのです。

ひとつひとつの節をひとつひとつ好きだと言えるほど、わたしはわたしの考えることに自信があるわけではありませんが、それらが集まって花束になったとき、やっとあなたに渡す理由が出来るような気がしているのです。一輪でも、あなたに似合う花があるといいな。そんなことを生意気にも思っています。

最後に、この本の目次を載せておきますね。

早いところだと明日あたりから書店に並びます。このご時世ですから通販も大いにべんりです。遠くのあなたにだって来週には渡せることでしょう。サイン会が実施できないことは残念ですが、あなたの手にした一冊がサインのない本だとしても、いつかお会いできた時にサインをするための白紙だと思って大事にしてもらえたらうれしいです。そしていつか本当に会いましょうね。

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ありがとうございます!助かります!