実践という説得力『かもめのジョナサン』感想文とか その4
前回は「カルト集団には注意しよう!」みたいなことを書きました。
今回はパート3で、本章はキリスト教の模倣らしき描写が多いし「なんかキリスト教みたいですね」という感想しか出てこないので、前回とは比べものにならないくらい何を書けば良いのか分かりません。
何で3章ってどれもこれも影薄いの。しかも旧版だと3章でオシマイって信じられないわ。村井秀夫はよくこんなもの読んでオウムに入ろうと思ったな。
よって、キングクリムゾンの力で本章をすっ飛ばして私の好きな4章にいきたいのですが、そうもいかないので率直な感想でも書いてまいります。
キリスト教と実践
そんな3章におけるキリスト教(主に福音書)模倣の描写について、私の拙い知識を基に、できる限り書き出してみると、
なんかカモメたちに説教している
従来の掟に従わない
徐々に弟子が増えていく
カーク・メイナードの病を治す
死人(死カモメ?フレッチャーのこと)を生き返らせる
何だかんだで旧勢力から迫害みたいなの受ける
こんな感じで、キリスト教を連想する人も多いことでしょう。
逆に異なる箇所といえば、
ジョナサンは磔にはならず、復活40日後のキリストみたいに消えちゃう
説教だけではなく、実践・実技を教えている
ジョナサンは「自分は飛ぶことが好きなただのカモメ」と称している
後継者にフレッチャーを指名している
といったところでしょうか。
だから何だという話なのですが、私的にはジョナサンに「お前たちここから出ていけ。私の父の家を商売の場所にするな」とかいって暴れてほしかったヮ。
カモメに家があるのか知らんけど。
まあここで注目すべきところは、ジョナサンが説教だけでなく実践を通して教えているというところで、
やはり実践を伴っていた方が信者にも分かりやすいものだし、実際口だけよりも何倍も説得力あるというのは皆さんご存知の通り。
ただ、前回紹介した上祐の本によると、オウムもヨガ等の実践を通して教える(洗脳する)スタイルだったようで、
そこがオウムと共通するところで、麻原は実践を通して、ついでに薬物とか投与して、洗脳することの威力を知っていたのでしょう。
麻原に対して結構反発していた上祐ですら洗脳が解けるのに7年くらいかかったというし、村井は死ぬまで洗脳されてたみたいだし。
実際こんな風に書いている私ですら、自分の身に「非日常」「超越的」な出来事が起きたら、たとえそれがLSDや覚醒剤の作用だったとしても、なんか信じてしまう気がします。
そういう類の洗脳を防ぐことができるのは、マーシーとかシャブぴーとかの常習者だけでしょう。
「こんなのいつもと変わらないじゃん」みたいな。
ニューソート&ニューエイジ
そんなわけで、なんか三昧(サマディ)ぽい描写もあるけど、本作の根底にあるのは作者の出自を鑑みるにやっぱキリスト教、あとニューソートおよびニューエイジなのだと私は思ってしまいます。
上に載せたWikiの記事を読んでもらえれば分かる(長ったらしいし読みづらいので読まなくてもいい)けど、
ニューソート:19世紀後半、カルヴァン主義への反発から始まった。
ニューエイジ:20世紀後半、ウッドストックの頃から始まった。
みたいで、現在は「群雄割拠」状態、というよりもカオスなことになっているというのは、こういうのに関心ある人ならお分かりでしょう。
そんなニューソートおよびニューエイジですが、ここで私の意見を述べさせていただくと、
そういうのにハマるのは結構だし私もあまり人のこと言えないのだけど、
結局のところマインドを単なるマインドだと気付かない限り、
マインドに気付いて「私」という主語に何らかの変革みたいなものが起きない限りは、
何をやろうが何を考えようがマインドの中で堂々巡りが続く、
結果、引き寄せだのチャネリングだの何たらメソッドだのナンタラ様崇拝だの下らないことやってもマジで何の意味もなく、あなたは「幸せにはなれない」ということであります(これは私の実体験でもある)。
※マインド:主に「私」という思考およびそれに伴う感情とかのこと。
「そんなことはない!!私は○○メソッドのおかげで幸せなった!!」「△△様のおかげで幸せになった!!」なんて声が聞こえてきそうだけど、
あなたが本当に幸せならば、そんなものしようがしまいが既に「幸せ」だろうから、わざわざ○○メソッドや△△様にこだわらなくてもOKなはずだし、
「私は〇〇メソッドや△△様の功徳でいつか幸せになれるんだ!」なんて考えている人は、その「いつか」っていつ?と一度きちんと考えてみなさい。
なんか次の4章の内容に入ったと思ったところで、今回はここまで。
応援、ありがとー