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ジョン・レノンの涙 Get Backをポールが歌う映像を見て堪えきれず…

GET BACK サンフランシスコ

1967年11月「ローリング・ストーン誌 The Rolling Stone Magazine」が創刊された。発行人はヤン・ウェナーJann Wenner。表紙を飾ったのは当時、反戦的ブラック・コメディ映画「僕の戦争How I Won The War」で主演していたジョン・レノン。1970年の春、ローリング・ストーン誌は20万部を誇るロックマガジンに成長していた。ウェナーはレノン夫妻をサンフランシスコに招待し、週末に夫妻はRS社を訪れ社内は騒然とした。長髪をふさふさなびかせながら歩く本物のビートルズとその妻は畏敬の念でみられた。

午後4時、どんより曇って誰もいないポーク通りを散歩していた彼らはビートルズの映画「LET IT BE」を上映している小さな映画館の前にいた。驚くべきことにジョンはまだ映画をみてなかた。ジョンとヨーコ、ヤンとその妻ジェーンは4人で映画館に入った。髭面のヒッピーとでも思ったのが、窓口の女性はレノンに気づかなかった。その時間、映画館には誰もおらず、4人貸し切り状態でスクリーンを見つめた。

映画LET IT BEのクライマックスは、有名なルーフトップコンサートだ。アップルレコードビル屋上で、ビートルズがゲリラ・ライブをする場面で、レノンに異変が起きた。髭面のポールたち4人が屋上にあがってきて、GET BACKを歌い始めた瞬間、感極まってジョンが泣き始めた。ウェナーはそわそわした。あのジョン・レノンが動揺を隠そうともせずポロポロ涙をこぼしていた。隣のヨーコの頬も涙で濡れていた。映画LET IT BEは、ビートルズが解散していく殺伐としたドキュメンタリーとして編集されており、その終盤だ。当時プライマル・スクリーム(原初)療法にのめりこんでいたジョンとヨーコは感情を躊躇なくあらわにした(ジョンのファーストソロアルバムもその療法の効果が色濃く表れている)。寒風吹きつけるロンドン、アップルレコード社の屋上で髭面のポール・マッカートニーがうたう映像は、ジョンにとって耐えがたいものだったのだ。



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