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象さんのはなし

「おやぁ、この象って生き物は長いねえ」

「いやぁ、この象って生き物は丸太みたいに太いねえ」

「いやいやぁ、この象って生き物は細いねえ」

「お前らみんな間違っとる。象というのはな…」


この哀れな衆生を見よ、アヌルッダよ。
彼らは己が盲目に蝕まれ、ガンジス川の砂つぶにも満たない一欠片の事実に縋りつき、それが全てであると思い込んで互いに諍いを起こすのだ。
真実に目覚めたものが争わないのは一を知って足りるとする忍辱を持つそれ故である。

なんと尊いことでございます善逝よ。
しかしわたくしアヌルッダは目が見えませぬ。
尊き人、全知者たる世尊よ。不具たる愚かな身に「象」がどのような生き物なのかお教えください。

善哉、善哉、アヌルッダよ。
「象」が知りたくばその通りにしよう。
「象」というのは、鼻が長く、丸太のような脚をしており、細い尻尾を持った生き物のことである。

すばらしいことです。すばらしいことです。
ですが大徳よ、たとえば「尻尾を失った「象」」とは存在しないのでしょうか。鼻は、脚はいかがでしょうか。
ひょっとすると「象」の「象らしさ」とは尻尾の中にあるのでしょうか。

賢き人、見透す者たるアヌルッダよ。
「尻尾を失った象」はもちろんいるだろう。
尻尾に「象」の「象たる所以」があるのでない。鼻に、脚に、あるのでない。
「象」の「象たる所以」は、「象」の中にはないのだ。
アヌルッダよ。よくよくこの真実を観なさい。

心が晴れやかになり、見えるはずのない両の目に光が入り込んだようです。偉大なる人よ。
目の見えないわたくしにとっては、「象」というのは言葉の、感覚の羅列であります。その羅列の果ては無いように感じます。
わたくしはこのように、「象」を知ること、叶いません。
ですが、知らないものが「象」だとは知っております。これはどういうわけでしょうか。

アヌルッダよ。見えないものを見るものよ。
あなたは「象」を知らないのだが、知らないものは「象」なのだと知っている。
つまり我が聡い弟子よ、「象」を知らない故に知らないものは「象」であるのでなく、「象」を知らないにも関わらず知らないものが「象」であることにあなたは不思議を観るのであろう。
ではこの不思議な「象」はどこからやってきたのか、とあなたは尋ねたいのであろう。

その通り、まさにその通りなのです、師よ。
正しくわたくしの途方もない不安を詳らかになさいました。
わたくしの知りたいことはただこれのみ、「象」はどこからやってくるのでしょうか。この「象」という名称さえ確かでない、このものは。

あなたの知りたいことに応えよう、虚ろの目よ。
このものは、衆生の「驕り」からやってくるのだ。
このものを知識にし、己に役立てようとしたその時にはすでに、「象」はやってきている。「象」という名前を持ち、象という"閉じた形"を持った物として、やってくるのである。

なんということでしょう。落ち窪んだこの目から流れるものは何でしょうか。尊き人よ。
啓かれるはずのない蒙が啓かれたようです。聖なるものよ。
しかしなぜでしょうか。まだ足りないものがあるようです。

救われたもの、アヌルッダよ。
まだ、あなたには「目」があるようだ。
衆生にとって「象が知り得ない」苦しみの所以を、アヌルッダよ、あなたはまだ観てとっていない。
それゆえにあなたにもまだ、苦しみがあるのだ。
よく観なさい、アヌルッダ。











さてアヌルッダよ。「象」とはどんなものなのか言いなさい。

「象はね、くっさいうんこをプロペラみたいに尻尾で撒き散らすのです」

アヌルッダは眼を覆ったのだ。その無い両の眼を。

そもそも眼がなかった、ということを隠すために、眼を隠すこともあるのだろうか。



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