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ムササビの宿屋

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旅好きなムササビ夫婦が宿屋を始めました。
大きなクスノキをととのえて、小さな穴はリスのために、大きな穴は熊のために、中くらいの穴はほかの動物のための部屋にしました。カワウソのような水辺の動物には、川べりの岩場を用意しています。
「お客さんがいっぱい来るといいね」
「お部屋ももっと増やそうね」
ですが思ったようにお客は来ませんでした。ムササビは冬眠しないのでみんなが冬ごもりの間に張り切って準備をしたのですが、春まで待てばよかったですね。


そんなある日、雄ムササビが宿から外を見ると、クスノキの前にペンギンが立っているのが見えました。
「初めてのお客さんだよ!」
ふたりは大喜びでペンギンを迎えました。
「ようこそようこそ」
「いらっしゃいませ」
ムササビ夫婦はペンギンのまわりをぐるぐる回って歓迎します。
「おひとりさまで?」
ペンギンはうなずきます。
「お部屋は川べりのほうがいいかしら」
「ひんやりする石の部屋もあるよ」
ペンギンは黙って首をかしげたまま考え込んでいるようでした。ムササビ夫婦はじっと待ちますが、ペンギンは固まったまま動きません。と、いきなりペンギンの口から魚がすぽんと飛び出しました。生きた魚が地面でびちびちと跳ねています。
「今夜は魚料理をご希望なのね」
「宿賃のつもりかもしれないよ。だったら困るなあ。ぼくら魚は食べないんだ」
雄ムササビが言うのを聞いて、ペンギンはころんと倒れてしまいました。
「どうしたの」
「どうしましょ」
ふたりはペンギンに駆け寄りました。
「魚がのどに詰まってるのかも」
とペンギンを抱き起こしたとき、尾羽の金具がきらっと光りました。ムササビたちには覚えがありました。
「ペンギンスーツだわ」
「ペンギンスーツだね」
金具を引き上げてスーツを脱がせると、ペンギンの口からまた魚が飛び出しました。もう一枚脱がせるとまた一匹。脱がせるたびに魚が口からあふれます。最後の五枚目を脱がせたところで、ムササビ夫婦は目を丸くしました。ペンギンスーツの中身がありません。
「空っぽだよ」
「どこに消えたの」
ペンギンスーツをばさばさ振っても見つかりません。
「ここにいます……」
弱々しい声が耳元で聞こえて、雄ムササビはきゃっと悲鳴をあげました。
「ああ食べ過ぎて苦しかった。脱がせてくれてありがとうございます」
「お客さん?」
雄ムササビは声のするあたりを手探りしてみましたが、空を切るばかりです。
「わたしはからだがないんです」
「なくしたの?」
「どこかに忘れてきたの?」
ふたりはそろって尋ねました。
いいえ、置いてきたんです。と声は答えました。
「眠ってるときを見計らって闇にまぎれてこっそりと。逃げている間にペンギンに声をかけられてペンギンスーツをもらいました」
「もとのきみは何?」
「もとのからだは?」
「あてようか。シカ?」
「オオカミ?」
「ネズミ?」
「それが、覚えていないのです」
返事はため息まじりです。
「ペンギンスーツを着る前のことはほとんど忘れてて。もとのからだがとても窮屈だったことは覚えているんですが、思い出せないんです。わたしは何者か……」
「じゃあ、ナニモノカだね」
「そう、ナニモノカさんね」
ナニモノカは、とつぜん名付けられて驚いたようでした。でもからだがないのに名前までないのは不便ですから受け入れました。
「ナニモノカさん、ご飯はどうなさるの?」
「からだがないんならお部屋はどこにする?」
ムササビ夫婦はナニモノカのお世話を始めました。なんせ初めてのお客さんですからね。

翌朝、ペンギンスーツを着せてほしい、とナニモノカから頼まれました。やはりペンギンとして南極に行ってみたいそうです。そこで着替えを手伝ったのですが、何度着せようとしても、ペンギンスーツはナニモノカをすり抜けて下に落ちてしまいます。
「前に着たときはふつうに足から履いて、袖を通したと思うんですが」
ペンギンスーツに慣れるうちに、からだのかたちも忘れてしまったようです。ナニモノカは残念そうでした。
「裸でいるのは落ち着かないなあ……」
そこで雌ムササビが、
「いいこと思いついた!」
と宿に走っていきました。そして布団を抱えて戻ってきました。鯉のぼりでつくった布団です。宿屋をはじめたお祝いに鳥釣りがくれたのでした。布団のすそを切って中の綿をすっかり出すと、大きな袋になります。その中にナニモノカさんに入ってもらえば、新しいからだの出来上がりです。
「具合はどう?」
「とてもいい感じです」
ナニモノカは明るい声でお礼を言うと、南極へと旅立っていきました。
ゆうゆうと空を泳いでいく鯉のぼりを、ムササビ夫婦は手を振って見送りました。


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