(please)forgive - BUMP OF CHICKEN 曲考察

(please)forgive / アルバム『RAY』より

あなたを乗せた飛行機が あなたの行きたい場所まで
どうかあまり揺れないで無事に着きますように

 BUMPを聴いていると、「ああ、やられたな」と思うフレーズにときおり出会うのだけど、この曲の冒頭のこのフレーズを聴いたときは文字通り息が詰まった。わたしが、言葉を尽くして書きたいと思っていたことを、藤くんにワンフレーズで歌われた、と思った。

 冒頭のフレーズが象徴する通り、(please)forgiveは「私」から「あなた」への祈りの歌だ。祈る、という行為は、基本的には自分のすぐそばにいて、ともに人生を歩む相手に対してするものではない。自分には手の届かない相手に、または、自分の力では変えることのできない結果に対してする行為だ。BUMPの曲に現れる二者関係には根本的に「別離」が前提とされているという話を何度かしてきたが、この曲に関しては、別れる別れない以前に、「私」と「あなた」はまったく独立の存在だ。「私」は「あなた」の道に干渉できない。おそらく逆も然りだ。

あなたを乗せた飛行機が 私の行けない場所まで
せめて空は泣かないで 優しく晴れますように

 冒頭の歌詞は、中盤でこう焼き直される。「あなたの行きたい場所」は「私の行けない場所」である、と。

ただ怖いだけなんだ 不自由じゃなくなるのが
守られていた事を 思い知らされるのが
自分で選んできたのに 選ばされたと思いたい
一歩も動いちゃいないのに ここがどこかさえ怪しい

 自由であるほうが恐ろしい、という旨の主張は、BUMPの曲に比較的よく出てくる。すべて自分で選ばなければならない、そしてその責任を負わなければならない。そういう、安全帯のない不安定な、それでも可能性に満ちた生き方が、彼らの定義する「自由」だ。
 (please)forgiveの「私」は、明らかにその「自由」を選ぶことができなかった側の人間で、「あなた」はそれを選んだ側の人間だ。自由であることこそが、「あなたの行きたい場所」で、「私の行けない場所」なのだ。

どこまでごまかすの 誰に許されたいの

 「私」は、その自由を選ばなかったことをどこかで後ろめたく思っている。だってお金がないと生きていけないし、やっぱ安定って大事だし、挑戦もいいけど、失敗するリスクを取れるような後ろ盾なんて俺にはないじゃん? と、別にだれに間違っていると言われたわけでもないのに、だれかに言い訳をするようにしながら日々を送っている。「自由でないこと」は、あるいはそれを選ぶことは、別に間違っているわけではないはずなのに、胸を張ってその生き方を誇ることがどうしてもできない。

まだ憧れちゃうんだ 自由と戦う日々を
性懲りもなく何度も 描いてしまうんだ

 それはきっと、「諦めた」という意識があるからなのだろう。ほんとうは、恐ろしいまでの自由に立ち向かって行く「あなた」に、その生き方に憧れていて、だけど、自分はそう「できなかった」という思いがあるのだ。それを、いや、「しなかった」んだ、と、言ってしまう自分に情けなさを感じながら。
 別に、「しなかった」でもいいのだと思う。他人から非難されるようなことでもない。ただ、どうしたって「あなた」に憧れてしまう自分がいることが事実で、「しなかった」はずなのに、自分で選んだはずなのに、自由を選んだ「あなた」に自分を重ねて少し惨めになってしまう。「あなた」のことを途方もなく眩しく感じてしまう。

それを続けた心で あなたは選んだんだ

 自分が選べなかった道を選んだ「あなた」に対して、「私」がもつ感情は、この曲の中では意外にも妬みや嫉みではない。わりに純粋な憧憬だ。それは、「私」自身が、「あなた」の進む道の厳しさを、それを選ぶことができることがどれほど強いことかをわかっているからだろう。だからこそ、「私」は、「あなた」を自分より価値のある人間だと思っている。自分より、価値ある場所に辿り着くべきひとだと思っている。
 「私」は、「あなた」に憧れていても、その生き方を眩しく思っていても、「あなたの行きたい場所」に自分もともに行こうとはきっとしない。それは「あなた」にしか目指せない場所だ。「私」と「あなた」はまったく別の人間で、別の人生があって、行き先も別だ。ただ、そういう眩しい生き方を、「私」がほんとうは成したかった、選びたかった道に、辿り着きたかったその道の果てに、「あなた」にはどうか行き着いてほしい、できれば無事に、あなたが損なわれることなく。という思いを「あなたを乗せた飛行機」に向けることしかできない。

あなたを乗せた飛行機が 私の行きたい場所まで

 「あなたの行きたい場所」「私の行けない場所」と呼んだその場所を、「私の行きたい場所」であったと認めたとて、「私」はもうそこを目指して「あなた」とともに飛ぶことはない。選ばなかったから。選べなかったから。「私」は「自由であること」が選べなかったけれど、「あなた」は単に「不自由であること」が選べなかっただけで、そこに優劣の差はほんとうはないのかもしれない。それでも、自分の選べなかった道を選ぶしかなかった「あなた」の、きっと平坦ではないであろうこれからの道のりに思いを馳せるとき、やはり、「私」にとって「あなた」の存在は眩しいのだろう。
 「あなた」の行き着く場所は、「私」の行ける場所よりも、もっとずっと価値ある場所で、美しい終着点で、「私」が行きたかった、けれど行けないその場所に、せめてあなたは無事にたどり着いてほしい。「選んだ」あなたは、その価値のあるひとだから。

 「私」が諦めた道を選んだ「あなた」にいまでも憧れていることを、その憧れを「あなた」に仮託することを、「私の行けない場所」に、あなたには辿り着いてほしいと自分勝手に願うことを、そうして自分の選択の後ろめたさからすこし目をそらすことを、それでも、あなたのその眩しさが、強さが、損なわれてほしくないと思ってしまうことを、——なによりも、結局はあなたの旅路の無事を離れた場所からただ祈るしかできないことを、どうか、許してほしい。
 (please)forgiveはそういう、道を違えた「あなた」への祈りの歌だ。


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東堂冴

BUMP OF CHICKEN

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