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転がるのか、転じるのか


こんばんは。いつもながら腰の重い佐光です。物理的にも重いのですが、一念発起筆をとることにいたします。

筆といいましても、キーボードを指で叩きつけているだけなのですが、そういえば先日、ほんとうに筆をとったんです!

先日の連休ではこの徳島にも雪が降り、西の方では積雪も見られ。ちょうど美馬のうだつの町並みに出かける予定があったので、ひさしぶりに自分の足で雪を踏みしめることができました。

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歩いていると、防水加工をしていない靴はだんだん雪溶けに染みてきてひんやりしてきました。ふらっと立ち寄った茶庵では、店主が目の前でお抹茶を立ててくださいました。

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まだお若い「ふるる庵」の店主は毎日着物を着て生活されているとのこと。日本文化を愛して日本を旅し、そのうえで「徳島がおもしろい」と知り、こちらに来られたそうです。そして念願のお店を開き、着付けや盆栽などさまざまなワークショップを勢力的に実施されているようです。
店内に飾られている墨文字に興味津々の我々、お話をうかがっていると、本年度の抱負の一文字を書いてみましょうか、とお声掛けいただきまして、思いがけず書き初めをさせていただきました。やったね!

わたしの脳裏に浮かんだのは、この一文字。

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「転」。
これだけみると、まるで転がっていくような。おむすびころりん、というような、穴に落ちていくような不穏な印象もあるのかもしれません。そういうことではなく、生活ががらっと変わっていくことから、心持ちを切り替え、転じて生活していきたい、という理由で選んだ一文字です。

※ちなみに、実は筆じゃなくて綿棒で書いたんです。綿棒って耳掃除以外にも使えるのね!


昨年度はいろんなことがありました。私自身に降りかかる変化はもちろん、todokeru,のみんなに訪れた多くの出来事。具体的には語りませんが、それぞれが苦難を乗り越えて、よくぞやりきったものだ、と思います。きゅうっと締め付けられそうになります。
私がまだ20代の頃。親友を亡くし、家族を亡くし、仕事に没頭…いや、仕事をすることでほかを考えないようにするため、周りになんの配慮もせず自己中心的に生きていたあの頃を思い返し、いまここにいる彼女たちはなんて強いんだ、と思うばかりです。それがいまも、この歳になってもできない人というのはいるものです。

転がっていく感じがしました。
でも、いっぱい蓄えて、いっぱい悩んで、それで転がるならいいなって思います。

そうそう、最近の稽古、すっごい楽しいんですよね。
前はね、「演技の技術」っていうとフィジカルのみだと思っていたんです。(もちろん、体幹とか発声とかはとっても大事だと思っています!苦手だけれど!)
けど、大きな舞台というよりも会話劇をやっていきたいね、っていうところからはじまった「todokeru,」らしい稽古というのかな。稽古中に代表から「演劇くさい!」っていうダメ出しが飛んできたりするんですよ。todokeru,じゃない人がみたら、「えっ、演劇なのに演劇っぽいのはだめなの?」って一瞬思っちゃいそうな感じです。そもそも演劇っぽいってなんなの?みたいな。

まあ、そんな稽古というわけで、私としては「日常会話を舞台の上で行っている」意識に近い感じがして、肩の力を抜いて稽古に臨めるので楽しい、というわけです。
逆に、日常会話から逃げていた時期にこの稽古に臨んでいたら、しんどかったかもしれません。少し前もそうでしたし、前述した「自己中心的に生きていた」頃とかもそうですね。一方的に自分の意見だけ言うような状態とか、逆に意見は言わずに「傾聴するだけ」で自分の意見を投げない、相手への問いかけを行わない、など。人に興味がないよね、と言われるような状態。まあ、こういうふうにブログやらSNSで一人語りするのもそれと同じようなものですけれど。

そういう意味で、会社やいまの交友関係では多くの「会話」が転がっているので、そんな環境に身を置けていることに感謝しています。そこには人への信頼があります。そして、そこから離れるのが怖い、というのもあるのですが…

あんまりこういうこと語ってると、ちょっと違うよ〜って指摘もくるかもしれませんので、このあたりでやめときましょっ。

またねー。


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