ぼくらは依存先を分散しながら軽やかに社会と向き合おうとしてる
ピザを食べに行かないかと誘われたのは午後5時過ぎだった。
ど平日。なんでも、セントルシアから友人が来ているらしい。
帰宅したばかりで、夕食の用意はまだしていなかった。
断る理由は平日だという他にもいくらかあったけれど、貴重な誘いとを天秤にかけて勝るものをぼくは持ち合わせていなかった。
ゆとりある生活。
東京では感じることのなかった感情をぼくは感じ始めている。
それに、食の選択肢の極端に乏しいこの国でピザというのはどうも抗いがたい。
誘い主のファンは5時半にぼくをピックアップしに来てくれた。
ぼくは5時頃に帰宅して誘いに乗ったあと、軽やかにシャワーを浴び、流れるように車に乗り込んだ。
向かった先はDriftwoodというレストランラウンジ。
海と島、停泊しているヨットを眺めることのできる良いレストランだった。
どこにでも流れている小うるさいSOCAが流れていない。
波の音が聞こえる静かな空間。ほどよい風もふいていて気持ちよい。
ファンのセントルシアからの友人というのは、チャーリーという良い具合に禿げあがった頭の典型的な中華圏の風貌の40代半ばの小太りのおじさんだった。
チャーリーは台湾の開発コンサルで、10年前、セントビンセントの新しい空港を建設するプロジェクトで滞在していたときに、当時はボランティアで来ていたファンと知り合ったのだそうだ。
よくしゃべる気の良いおもしろい人だった。即座に、今日は早めに帰れそうにないなと悟った。
同時に、こういうカジュアルな雰囲気で交友関係が広がるのは久ぶりだと気づいた。
特に目的がないのにわざわざ平日にディナーを誰かとともにするのも久しぶりだ。
社会人になってから何の目的もなく誰かと仕事終わりに飲みに行ったりするのはほんとに数えるくらいしかない。
別に忙しかったわけではないけれど、なぜか憚られた。
学生時代に戻ったようだった。あの頃もすべきことはあったし暇じゃなかったはずだけれど、時間を持て余していて、何かを為すことに焦りながらも、気の合う人たちと居酒屋やカフェでだべっていた。
今は、立場こそ変わり責任もいくらか持つようになったけれど、その時の雰囲気を思い出すほどに懐かしい感じがした。
仕事の話も少ししたけれど、大半は楽しい旅行や文化の違いの話で、それは普段ぼくらが20歳そこそこのころから話す内容とさして変わらい、愉快なものばかりだった。
思えば、ぼくは20歳そこそこの頃から10歳くらい上の人たちに遊んでもらえる機会がいくつかあり、よく「20歳そこそことは思えないね」「同世代の同じ感覚だ」なんだと言われていた。ぼくはそれに浮かれ、尊大なまま当時の彼らと同じ年齢になったわけだけど、あれから何か変わったかというとさして変わっていない。
知識の量は増えた(と信じたい)けれど、考えていることは基本的に変わらないように思う。
しょせん、男なんて25歳くらいで精神年齢はストップしてしまうものなのかもしれない。あと20年経っても、いまだ自分は若いと思っていそうだ。これは去年の夏、草野球で何年かぶりに全力疾走して肉離れを起こした時に自覚した。
話が少しそれてしまったけれど、こういうゆるい交友関係って良いなぁと思う。こういう特に目的や理由なく、一緒に時間を過ごすことって社会人になると極端に減ってしまっていたから。
なんだかんだで仕事で忙しかったり疲れてたりして、かつての交友関係は疎遠になり、気づけば各々家庭を持ち、ぼくらの関係性の希薄化に拍車がかかる。そんなことを何度となく経験してきたから。
チャーリーは何本か目のビールを飲み干して気持ちよくなった頃、「自立した女性が好きっていうやつがたまにいるがね、良くないと思うね。深くは聞くなよ、経験者は語るってやつだ。簡単にい言うと…、互いに自立してれば、関係性を継続させる理由がない。人間ってのは互いに多少の依存があった方が良いのかもしれないなぁ」と語りだした。
その後、気の強い女はだめだね云々とダークサイドへ落ちていったのだけど、ダークサイドに落ちる前の彼の離婚経験から語ったことは真理を含んでいる。
なんだかんだでぼくらは寂しい。なんだかんだんで寄りかかれるものや人を求めている。肯定してほしいんだと思う。
彼の場合は、もちろんこれは推察でしかないけど、互いに自立してるばっかりに関係性に不具合が生じた時に妥協点を見いだせなかったんだろうと思う。それが良いか悪いのかは、それぞれの人生に対する考え方に依るから一概にどうこう言えるものじゃない。
世界的にも、結婚していない大人は一人前じゃないという時代でもない。多様なライフスタイルがでてきているし、それぞれ一定の支持を得ている。
どこかで、人間は交友関係が広い方が人生の満足度が高いのだという話を聞いた。
ある調査によれば、既婚の女性よりも生涯未婚の高齢女性の方が交友関係が広くメンタルヘルスのスコアが良いのだそうだ。
広く浅く、依存先を分散しているんだろう。
チャーリーはプロジェクトごとに、フィリピンに始まりグアテマラ、キューバ、セントビンセント、セントルシア…と各地を転々として、わりにハードなネゴシエーションをしているはずだから大変だろうと思うんだけれど、表面上は疲労感は伺えない。
それは、こんなふうに広くゆるい交友関係を各地で築いているからなのかもしれない。
彼はなんだか、常にこんな話は知っているかとニヤニヤしている。ほんとのところは知らないけれど、楽しそうだ。
人見知りで根暗なぼくには厳しい話だけれど、それができないと各地を転々とするライフスタイルはしんどいのかもしれない。
それでも、ぼくでも、東京にいたときよりも孤独感は少ない気がする。
それは、辺鄙なところにいるぼくをいろんなひとが気にかけてくれているからだろうなと思う。
ぼくも気にかけてあげる立場にいるべきなんだろうけど、そんな器用なことも余裕もないんだよなあ。
ピザは薄いクリスピーな生地でとてもよかった。おいしい。
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