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帰国を惜しんだり、任地が恋しくなる日は来ないと思う

けっこう驚かれるけれど、「あと1年なんて、寂しく思ったりしないですか」みたいなことを聞かれるけれど、全然そういうエモーショナルな気持ちは起こらない。凪。ほんとに。

ぼくが冷たい人間だと言われる所以だろうなあと思う。

これは別に任地が、任国が嫌いだからとかそういうわけじゃない。好きなところもあるし、嫌いなところもある。それは日本やイギリス、アメリカなど他の国に対して思うことと同じ。

たぶん意識の問題だろうなと思う。ぼくは卒業式とかで泣いたことがない人間だから(いや、小学校の卒業式は泣いたかもしれない…もう記憶にない)。

どう表現したら良いかわからないけれど、終わってしまったことより次起こることが楽しみで仕方ないというか。だから中学なら、ぼくは野球部だったんだけど部活引退して進学先が決まれば、その高校生活が、野球をするのが楽しみで早く行きたいと思っていた。高校なら高校で、同じように大学が決まればキャンパスライフで頭がいっぱいだった。

ぼくは神戸が好きでなんだかんだで6年くらい住んでいたと思うけれど、転職で東京に引っ越すときも、「神戸は良いな機会があれば戻ってきたいな」と思ったし、毎週のように会ってた友達も、よくパーティーをしていた人たちも、尊敬する人たちもたくさんいたけれど、彼らの存在がぼくの転職を思いとどまらせるようなことは一切なかった。

前しか見てない。次のステップが楽しみで仕方ない。

一言で言うとそんなふうになるんだと思う。

あと、ぼくは人間関係は川のようなものだと思ってるからだと思う。どんどん入れ替わるというか、出会っては去っていくのが普通だと思っている。ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。

たとえば、このコミュニティがすごい好きでずっとこの雰囲気が続けば良いのにと思っていても、同じことをずっとやっているとそのうち退屈になるかもしれないし、人間それぞれライフステージがあるから、何年も同じ人たちと過ごすことは難しい。誰かが抜ければ好きだったコミュニティはバランスを崩すし、身も蓋もないことをいうと、みんなが同じ気持ちとは限らない。

だからその時々で楽しんで、終わってしまえば、「あの時は楽しかったな」と良い思い出としてとっておくことにしている。

ぼくは神戸でシェアハウスに住んでいたころ、そこに住んでる人たちもそこに集まってくる人たちもほんとに好きだったし、「理想的な環境だなぁ、こういう人たちとはもう一生出会えないだろうなあ」と思っていたけれど東京へ行った。幸か不幸か、その年の冬に、シェアハウスの隣が火事になり、その影響でダメージを負ったシェアハウスも取り壊しになりシェアハウスは閉鎖、好きだったコミュニティのみんなは散り散りになってしまった。

居場所がなくなったような寂しさがなかったとは言わない。けれど、高校から親元を離れて寮生活が始まり、進学や就職の度に引っ越して人間関係がリセットして毎回ほぼゼロから友達づくりをしてきたぼくのような人間にとっては、身も蓋もないことを言ってしまえば、たぶん万に一つも戻る可能性がなかったろうから、実際問題、存在してようがしてなかろうがぼくの中では概念上の存在になってしまってたから、思ったより終わりが早かったなぁが率直な感想だった。

そういうわけで、残りの任期が1年をきったけれど、時間が経つのは早いなあと感じているけれど、だからといって寂しいなあとは思わない。

むしろ、今はこのままなら帰国後無職なので、次のステップが俺の次のキャリアが、どうなるんだ、俺の人生はッ!!という差し迫った危機で頭がいっぱいだったりする。

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