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悔しいけれど、ぼくの協力隊活動は負けが確定しました…

青年海外協力隊で待機延長組でリモート支援をがんばってます、yukiです。

一時退避してからリモートでできることをやるのと、青年海外協力隊の広報活動や、可能であれば国内で地域活性化なり産業支援に取り組んでいます。

それで、ぼくの派遣先であるセントビンセントの人たちと日々連絡を取り合っているんですが (これは何気にすごいことです)、先日ボソッとこんなメッセージをもらいました。

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送り主は盲目の人なので音声入力で、自動変換とかでちょっとヘンなところもあるんですが意訳込みで訳すと、” ぼくたちみたいに働くことできる障害者にここで必要なことっていうのは仕事なんだよね。普通の人がローン組んだり旅行したり買い物したりできるくらいの仕事を、ぼくたちもしたいだけなんだよね。普通の人の生活がぼくたちもしたいだけなんだ ” 

めっちゃへこみました。

こんな思いをさせないためにぼくは現地で活動したのに全然ダメだったなあと。期待だけさせて結局結果は何も変わらずになってしまったかと。せっかく心開いてくれて、ぼくがやろうとしていたことに可能性を感じて信じて努力してくれていたのに。

もちろん、ぼくが現地で活動することで、すぐに彼らに安定した収入を得ることができる仕事を用意できるとは100%の自信を持っていたわけではないです。(もちろんそうできることがベストですが、ぼくは現実主義でもあるので)

それでも、なにかきっかけをね、変わるんだ、この方向で頑張ればうまくやれるとかそういう道筋を示したりとか、彼らの能力に(近い将来に安定した収入を得ることができるという)自信をつけることくらいはできるだろうと思っていたんですね。

それすら叶わなかったんですね、完敗です。

6月末に行われた、上記のオンラインのトークイベントとか、その前だとJICAの報告会とか報告書でね、いろんな人から「これは障害者支援の好事例ですよ!」なんて言わたりしてましたけど、一瞬メディアに取り上げられて、ちょっと現地でバズっただけでもはや何も残ってないんですよ。

自分が一番わかってますよ。安定した収入を得る手段を作ることがメインミッションなのに、サブの広報PRでちょっとしか成果だせてないんですから。その成果だって、1週間後には誰も覚えてないようなものです。だからこそ定期的なメディアへの露出が大事なんですけど、それもできてませんから。

そこにさっきのあのメッセージですからね。

ぼく、国際協力やるまで、ここまで来るまでに8年くらいかかってるんですよ。8年ですよ、8年。もちろん8年間毎日、片時も休まず自分にできる支援はなにかと考え続けたわけではないです。

それでも、この分野だったらある程度貢献できるはずだというのを見つけ、その自信があると思うまでが8年です。結果からいうとぼくの8年は何の価値もなかったのかもしれません。

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少しぼくの昔話に付き合ってください。

8年前、ぼくはフィリピンにいました。

当時、大学の夏休みを使ってフィリピンで英語を勉強しつつ立ち上がったばかりのストリートチルドレンを支援するNPOのお手伝いをしていました。

写真はそのとき訪れたゴミ山(スモーキーマウンテンとかトラッシュマウンテンとかいろんな呼ばれ方をする)です。そこには一般にスカベンジャーと呼ばれるゴミ山で廃品やリサイクル可能なものを拾って売って生活する人たちがいました。

街で集められたごみをただ捨てて続けて山になっているところに住んで生活してるんです。当然、衛生状態は悪いです。くさいです。ツンとくる化学臭もします。いろんな腐ったにおいがします。

分別して捨ててるわけじゃないからどんなゴミがあるかわかったもんじゃないし、火事も起こるし、ただゴミが積み上がってるだけだから頻繁に崩れます。そこに住んでる人たちが巻き込まれてよく亡くなります。それでも彼らはゴミ山で働いてますし、そこに家を作って住んでいます。(※違法です)

子供たちも学校へは行かずゴミを集めます。それがその日の食事代になるからです。

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ショックだったのは現地のコーディネーターが「あなたにとっては彼らは不幸に見えるかもしれませんが、彼らは彼ら自身の境遇について必ずしも不幸だとは思ってないんですよ。心から幸せだと思っている人も結構います」と説明してくれたときでした。

彼らはゴミ山での生活しか生まれてからしたことがないから、比較対象がないから普通を知らないんですね。ゴミ山での生活が普通なんです。

これは「誰かと比べるから不幸になるんだよ」という哲学的な話になるんですんが、当時のぼくは「人生というのは平等じゃないんだな」と心から思いました。

そのNPOでは教育活動をやっていました。最低限の読み書きができないと彼らの商品である集めたリサイクル品も不当に安く買い叩かれてしまうからです。

ぼくはのうのうと生きていてもそこそこの大学には入ったし、こうやって夏休みに海外に行けるくらいのお金をバイトで稼ぐことができるし、将来どんな仕事をしようかっていう選択肢があるけれど、彼らにはないんだなと。よくはわからないけれど、これはよくないと思いました。

これが国際協力の仕事がしたいと思った直接のきっかけです。

その時、パッと思ったのはこのNPOのようなところで働くか、教育をやるかでした。素直なので見たまま聞いたままそのままです。

けど、よく考えてみて、英語もろくに話せない日本人のぼくを雇うメリットはあるかと思いました。現地語も現地にコネもないのに給料は現地の人の3倍くらいになるのに。それだけお金集めてくる力はあるか?…ない。だったらそれはただのエゴだから、単に団体に定期的にでも寄付するのがお互いにとってハッピーなことだと思いました。

じゃあ教育はどうだろう。ぼくは法学部でしたし、教育系の授業は取ってませんでした。それに、教育というのは将来に対する投資です。次の世代の子供たちに苦労させないためのものなイメージがありました。ぼくは、今、目の前の人たちに手を差し伸べたいと思ったんですね。

それは具体的になんだとは答えがでませんでした。自分の学歴的にも国際協力を仕事にするのは難しいんだろうなと思っていました。

後ろ髪引かれる思いがあったので、開発経済とかの本を度々読んだりしていましたが、大学院かー、高校の時もっとちゃんと勉強してもっとレベル高い大学に入ってたらよかったなー、もっとしっかり将来のこと考えたら浪人って選択肢もあったなーとか思いながら、普通に働いてました。

メーカーでも働いていたので工場研修もやりました。モノがどうやって作られるのか、どういう人たちが作っているのか、どうやって材料を調達するのか、どうやってモノを届けるのか、どうやって売るのかというのを経験できたのは大きかったなと思います。どうやって経済が、お金が回っているのかを肌感覚で理解できるようになったので。

取引量が減った取引先が事業所をたたんだり、倒産してしまう会社も見てきました。安定した雇用が地域にある/なし、なくなるインパクトを感じたりしていました。経済めちゃくちゃ大事だなと。

「経済」の語源は、中国古典の経世済民(世を經<をさ>め、民を濟<すく>う)です。英語ならEconomy、これは古代ギリシャ語の oikonomiaです。これは oikos(household) と nomoi(laws, rules)が合わさっていて、「どうやって家をやりくりするか」ということです。着目点が国なのか家単位なのかの大小がありますが、要するに共同体のあり方を考えるものです。どうやったらみんなが幸せになることができるか。

やっぱりお金の流れをつくることはどこの世界でも大事だと思っていたとき、たまたま青年海外協力隊のウェブサイトみてたら、ぼくがそれまでの社会人生活で経験してきたことで貢献できそうなのがたくさんあって、採用されて現在にいたるわけです。

Covid-19がなければとか、リソースがもっとあればとか、運がなかったとか言いがちですけど、そもそもパンデミックがなくてリソースがあっても上手くやれてた保証はないし、運がないと社会的弱者に当たる人は「普通」の仕事や生活ができないんですかっていうね。

No one will be left behind (誰一人取り残さない)ってほんとに難しいですね。

それでも、ぼくは諦めが悪いので前を向くわけですが。次こそはと、静かに不平等や貧困への闘志を燃やすわけですが。

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