野尻茂樹

伝統医学(鍼灸中心)を学ぶ中で、従来見落とされていたのではないかと考えている視点に気づ…

野尻茂樹

伝統医学(鍼灸中心)を学ぶ中で、従来見落とされていたのではないかと考えている視点に気づき、少しづつ残しておこうと思います。浅学のためツッコミどころは多々と予想。

最近の記事

意識の構造4 テセウスの船

有名な思考実験にテセウスの船というのがあります。船が時間とともに古くなっていくなか、少しずつ材料を新しいものに変えていけば、やがて最初の制作時の材料は皆無となります。その場合、最初と今では同じ船と言えるのかどうか? 身体と意識の関係を考える時に、この問いへの回答は役立ちそうなので取り上げました。 例えば、出来てばっかりのその船が、何かの都合で砂浜にあげられて、「今日から海浜公園の遊具として使います!」となったとしましょう。この場合、船の材料は何一つ入れ替えられていないのに

    • 意識の構造3 

      私は子供のころに、夢の中で教会の鐘が聞こえてきて、だんだんその音が変わってくると、目覚まし時計のアラームだということに気づいて、慌てて目覚めるという体験をしました。クリスチャンでもなければ、近所に教会があるわけでもないのに、そんなのが夢に出てくるのは、外国映画やアニメなんかで見た記憶があるからでしょう。 それにしても、おかしな点は残ります。夢の中では、教会が出てくるストーリーがあり、その後に音が聞こえて、だんだんと音が違うものに変わり、現実のアラーム音に気づくわけですから、

      • 意識の構造2

        一旦、伝統医学から離れて、誰もが理解可能な言葉で、通常時の意識と夢の状態を比較していきたいと思います。 ○反応と記憶 日中の私たちは、自らの欲求や目的を果たすために、外側の刺激に適宜応じながら活動しています。そのためには記憶の機能が必要になります。覚醒中では外側からの刺激に随時知覚が働いていますが、この知覚自体が過去からの記憶とともに成り立っています。サイレンの音に救急車が近づいてくるのがわかったり、漂う香りにバラの存在に気付いたりするケースだけではありません。視覚におい

        • 意識の構造1

          意識について考える時に最も気をつけることは、脳内に何かを投影している場所があって、それを見ているちっさいオッサンみたいなのを想定してしまうことです。そのオッサンをホムンクルスなんていいますけど、これだとそのオッサンの脳内はどうなってんの?と無限ループに陥るだけになります。(ちょっと触れてます→https://note.com/toehatae78/n/n37a56f8e2082) そこで我々の意識がはっきりと機能している時と、そうでない時とを比べることで、何かわかるんではな

        意識の構造4 テセウスの船

          意識の構造 序

          長らく更新できないままでしたが、再開したいと思います。 前回まで人の心身の発生が、伝統医学の中でどう説明されていたかに触れてきました。これからは「意識の働き」という現在でも謎の多い現象について、もう少し迫ります。覚醒時の空想や睡眠中の夢など、我々が普段している体験を、古代人の思想を足がかりに、より明瞭に捕捉できる可能性を探っていく予定です。

          意識の構造 序

          陰陽論19精神の発生13

          本神篇の続きです。 心は憶するところあり、之を「意」と謂う、意の存するところ、之を「志」と謂う,志に因りて存変する、之を「思」と謂う。思に因りて遠く慕う,之を「慮」と謂う、慮に因りて物に処する、之を「智」と謂う、故に智は生を養うなり。 知っている漢字ばかりでありながら、今の意味とは違ってたりするために、ちょっとわかりにくいですね。ざっくり言うと、人の思考は「意志」が先にあり、その後に過去の記憶への蓄積があるということになります。 一つずつ見ていきます。 「憶する」は記

          陰陽論19精神の発生13

          陰陽論18精神の発生12

          本神篇はまだ続くのですが、陰陽論からの分を一旦ここで補足しつつまとめながら、天人地と身体の関係に一定の結論をつけてみたいと思います。 陰陽論は古代の人が、知性を働かせるために編み出した基本的な考え方であり、同時にその知性自体を説明するものとして成り立っています。日本語の「わかる」が「分ける」と語源が同じことと、似通っています。巷の「東洋医学入門」的な説明では 陽=動的、熱性、拡大傾向 、夜、男性 陰=静的、冷性、収斂傾向、昼、女性 みたいな説明を見かけます。間違いではあ

          陰陽論18精神の発生12

          陰陽論17精神の発生11

          繰り返し当たり前の話になりますが、心(意識)はモノではありません。しかし身体というモノがなければ、発生もしません。「運動」というものが、運動するモノ無くして、運動そのものだけで存在していないのと同じです。といって意識を物質の微細な運動の連続としてしまえば、「心(意識)が何か?」について何かわかった気になるかというと、「だからどう?」にしかならないでしょう。運動していない「モノ」は取り出せそうだし、想像しやすい。「運動」は取り出せないし、モノ無くしての運動はありえない、だからモ

          陰陽論17精神の発生11

          陰陽論16精神の発生10

          意の文字は、心の音から出来ていると述べました。意識に現れるのは、音だけでなく映像があります。触覚もあります。欠損した箇所が痛む幻肢痛は、脳の中て起きているトラブルとされます。 ここで魂縛と心の問題を考えるために、AI(人工知能)に触れておきます。 人工知能も眼や耳、鼻、触覚に当たる機能を備えたものがあります。しかし、今の段階では人間とは決定的に違う点があります。それは「自身の身体」としての感覚ではないことです。最も重要で、なお例としてわかりやすいので、痛覚(痛みの感覚)を

          陰陽論16精神の発生10

          陰陽論15精神の発生9

          「物に任(た)うる所以(ゆえん)のもの,之を心という。」 モノ(外の世界)と接していることで、心が生まれる→ということは、眠っている時は心の働きは弱くなっている、というか休んでいる状態になります。物心つく前とと同じではありませんが、それに近い状態です。ルドルフ・シュタイナーは動物の精神状態を、人の夢の中と似たものと言っています。ただ、人の場合は夢の中でも言葉を使ったり、一応論理的に考えているシーンが出てきますから、(前回述べたように)成長にともなう魂の働きがあることになりま

          陰陽論15精神の発生9

          陰陽論14精神の発生8

          心が意識だというところまで来ましたので、また魂に少し戻ります。 意識が生まれる前の状態に魂が置かれていることになります。物心がつく前の状態は魂が育まれていますから、「三つ子の魂百まで」と言われるのもわかります。しかし、だからといって魂はその後から不変なのではありません。魂は常に働いています。心に浮かぶことは、その前に魂で作られたものだからです。今でいう無意識の領域は魂の活動範囲となります。 少なくとも生きている間に、魂は様々な影響を受けながら、変容もしています。だからこそ

          陰陽論14精神の発生8

          陰陽論13精神の発生7

          前回の話をうけて「植物にも魂があるんじゃないの?」という異議を持った方も多いでしょう。私自身、草木に魂のようなものを感じることがあります。いや、それどころか石のような無機物、古い機関車とか人工物からも「魂のようなもの」を感じてしまう人間です。 これが魂か「のようなもの」なのかは、魂というものの定義の問題ですから、いろんな考え方があるのは当然です。ただ中国古典医学だと、少なくとも動物に限定しなければ筋が通らなくなります。続きの文をもってそれを考えていきます。 所以任物者謂之

          陰陽論13精神の発生7

          陰陽論12精神の発生6

          魂魄について、少し続きます。これを理解することは、伝統医学による臨床上でも、かなり重要な意義を持つと私は考えています。 生きている人間の魂がどこにあるかは、五蔵の肝にあると、この巻でも他の巻でも記されています。肝が担当しているというようなことです。ただし、今の医学でいう肝臓とは全く違います。その辺のことは、他の説明でも何度もしなければならなくなるでしょうが、とにかく「名前が同じで全然違うもの」くらいに考えた方が良いです。なお、伝統医学では臓ではなく、蔵の字を使うことが多いで

          陰陽論12精神の発生6

          陰陽論11 精神の発生5

          「たましい」を漢字で書いてくださいと言われれば、たいがい「魂」の字を書かれるでしょう。ただ、「たましい」にはもう一つ字があります。それが「魄(はく)」です。 並精而出入者謂之魄。所以任物者謂之心。 「精に並びて出入りするもの、之を魄という。物に任(た)うる所以(ゆえん)のもの,之を心という。」 精に並んでとあります。精から生まれたとは書いていません。並んでというのは、米が精(白米の部分)と粕に分けられるように、別の物ながら仲良くくっついている様が思い浮かびます。 魂が

          陰陽論11 精神の発生5

          陰陽論10精神の発生4

          随神往来者謂之魂。 「神に随(したが)い往来する者、之を魂と謂う。」 いきなり「魂」の登場です。困ったことに、何から生まれたとはありませんが、書いてない以上、精から生まれたとするのが順当でしょう。今でも「精魂込めて」という言葉があります。それが「往来する」という。じゃあどことどこの間なのか?また書いてない(笑) 「魂」の字の偏は云で、雲の原字であり、空の雲や湯気の形象であるといいます。ちょっと「気(氣)」に似ているけど、気が全方向なのに対し、上向きのイメージがあります。

          陰陽論10精神の発生4

          陰陽論9 精神の発生3

          精と神の話です。タイトルの精神は、現代の言葉でいう精神であり、ここでの説明は古典や中医学にある精と神です。ややこしくてすみませんが、違う意味であることご承知ください。 故生之来謂之精両精相搏謂之神。随神往来者謂之魂。並精而出入者謂之魄。所以任物者謂之心。 精という文字は米偏と青からできています。同じ米偏に白で、粕という文字もありますね。内側が精で外側が粕ですが、それぞれ青くも白くもありません。むしろ精米した方が白いというのは奇妙です。なぜこうなるのでしょうか?「青」の前に

          陰陽論9 精神の発生3