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73. 第4章「行け行け東映・積極経営推進」

第11節「テレビ映画の飛躍 東撮前編」

 以前、⑰第3章「躍進、躍進 大東映 われらが東映」第2節「大川博の基盤作り 東映テレビ事業編」にて、東映のテレビ事業の始まりについて紹介いたしました。
 そこで述べましたように、1959年11月、新たに設立された東映テレビ・プロダクションに東映のテレビ映画制作が一本化され、時代劇も東撮(東京撮影所)で撮影されることになります。

① 新生東映テレビ・プロの始まりとテレビ時代劇

 新生東映テレビ・プロ、第1作目は日本教育テレビNET)放映の時代劇『日本歴史シリーズ 第4部 幕末物語 第23話 勝海舟平幹二郎主演(1960/04/15~05/06)、京撮(京都撮影所)から撮影を引き継いだ作品でした。
 京撮で撮影をしていた子供向けテレビ時代劇『白馬童子』(1960/01/05~09/20)も、第13回から第2部として東撮東映テレビ・プロ撮影されるようになります。

NET系『白馬童子』(1960/01/05~09/20)

 ここから1964年2月東映京都テレビ・プロダクション設立されるまでテレビ時代劇東撮で作られました。
 
 『日本歴史シリーズ』は、『風小僧』と同じくNET開局記念番組として企画されたもので、『第1部 源義経南郷京之助北大路欣也主演(1959/02/06~05/01)は東撮で制作されています。
 『第4部 幕末物語 勝海舟』に続き、『第5部 徳川風雲録槙章太郎主演(1960/05/13~08/05)、『第6部 赤穂の人々高島新太郎主演(1960/08/12~11/04)と続いて制作されました。
 その後、子供向けに沢村精四郎主演『天下の暴れん坊・猿飛佐助』(1961/01/03~06/27)、『新諸国物語・紅孔雀』(1961/08/01~1962/04/24)、高島新太郎主演『風雲黒潮丸』(1961/10/02~1962/09/24)などかつての娯楽版映画のテレビリメイク版などが東撮で作られ人気を得ました。

NET系『天下の暴れん坊・猿飛佐助』(1961/01/03~06/27)
NET系『新諸国物語・紅孔雀』(1961/08/01~1962/04/24)

 また、京都の時代劇スター伏見扇太郎主演『次男坊若さま』(1962/04/08~08/05)、若杉恵之介主演『桃太郎侍』(1962/04/10~10/02)、島田景一郎主演『走れ!左源太』(1964/1/7~6/30)なども東撮で制作されました。
 これらの東撮テレビ時代劇には、1958年あたりから時代劇映画の製作が行われなくなり1961年に倒産した新東宝から移って来た時代劇スタッフ数多く参加しています。

 1964年2月東映京都テレビ・プロダクション設立され、再び京撮で時代劇テレビ映画の製作が本格的に始まります。

 その後も東撮東映テレビ・プロにて、高橋幸治主演『宮本武蔵』(1970/10/7~1971/3/31)、平幹二郎主演『半七捕物帳』(1971/10/6~1972/3/29)などの時代劇シリーズ作品が作られましたが、1979年市川染五郎主演『騎馬奉行』(1979/10/02~1980/3/25)をもって東撮時代劇テレビ映画終了しました。

NET系『半七捕物帳』(1971/10/6~1972/3/29)
KTV系『騎馬奉行』(1979/10/02~1980/3/25)

② 子供向け特撮ヒーローテレビ映画の誕生

 1959年、『七色仮面波島進主演(1959/06/03~12/31)から始まった東撮子供向け特撮ヒーローテレビ映画は、新生テレビ・プロで『新・七色仮面千葉真一主演(1960/01/07~06/30)、同じく千葉主演『アラーの使者』(1960/07/07~12/27)と続きます。
 また、松下電器単独スポンサーのSF特撮ドラマ、『ナショナルキッド小嶋一郎主演(1960/08/04~1961/04/27)も人気を博しました。

NET系『ナショナルキッド』(1960/08/04~1961/04/27)
ナショナルキッド

 『ナショナルキッド』に続く『少年ケニヤ山川ワタル主演(1961/05/04~1962/02/08)もヒットします。

NET系『少年ケニヤ』(1961/05/04~1962/02/08)

③ 刑事ドラマの確立

 1956年、東撮は娯楽版映画、堀雄二主演『警視庁物語』を製作します。脚本を警視庁鑑識課に勤務していた長谷川公之が手掛け、捜査一課の活動をセミドキュメンタリータッチで描いたこの作品は1964年まで24作を重ねるヒットシリーズとなりました。ここから今につながる東映刑事物がはじまりました。
 その実績を受け継ぎ、旧東映テレビ・プロ東撮めて手掛けたテレビ映画は刑事物『捜査本部』(1958/12/27~1959/06/26)でした。

NET系『捜査本部』(1958/12/27~1959/06/26)

 1961年10月4日、これまでのテレビドラマは30分の枠でしたが、TBS系で初めての1時間テレビドラマシリーズ七人の刑事』が始まりました。『警視庁物語』の堀雄二が主演の刑事ドラマです。
 同じく1時間テレビ映画シリーズに取り組んでいた東映テレビ・プロは、NET系にて10月4日は先行特番、10月11日から『特別機動捜査隊』(1961/10/11~1977/03/30)の本放送を開始しました。

NET系『特別機動捜査隊』(1961/10/11~1977/03/30)

 『捜査本部』に出演した波島進を主演に、第1話を名匠関川秀雄が監督したこの作品は37.8%の高視聴率を記録し、主演を変えながら15年半801話も続くロングラン人気シリーズとなります。
 1977年4月にその後を受けた『特捜最前線』(1977/4/6~1987/3/26)も高視聴率の人気シリーズとなり、東映刑事物路線の伝統を引き継ぎました。
 『特別機動捜査隊』から生まれた「特捜」という言葉は現在テレビ朝日系で放送している『特捜9』まで受け継がれています。
 また、1962年6月7日からは鉄道刑事ドラマの先駆けとなった『JNR公安36号』(1962/06/07~1963/03/28)が始まります。1963年6月からは『鉄道公安36号』(1963/06/05~1967/04/02)とタイトルを改め、1964年8月には33.8%の最高視聴率を獲得、このテレビ映画も高い人気を得ました。
 『特別機動捜査隊』が軌道に乗った1963年。3月の社内報にテレビドラマ特集が組まれ、『特別機動捜査隊』のエピソードなどが語られます。

1963年3月発行 社内報『とうえい』第62号
1963年3月発行 社内報『とうえい』第62号
1963年3月発行 社内報『とうえい』第62号
1963年3月発行 社内報『とうえい』第62号
1963年3月発行 社内報『とうえい』第62号
1963年3月発行 社内報『とうえい』第62号
1963年3月発行 社内報『とうえい』第62号

 映画『警視庁物語』やテレビ映画『捜査本部』を企画し、東映刑事物の原点を作った斎藤安代は、1963年2月NET映画局邦画部部長出向しました。

 1966年、2月の社内報に「躍進するテレビ事業」として特集が組まれます。
 その中でテレビ部次長渡辺亮徳の司会で座談会が催され、斎藤はNET映画局次長として、電通、博報堂の担当者と共に「テレビ界の現状と将来」について、局の立場で参加しています。
 そこでは、テレビ放送が始まって10年が過ぎ、万博を機会に普及が見込まれるカラーテレビへの対応が検討される頃のテレビ局とスポンサー、広告代理店、東映などの映画会社、テレビ制作プロダクションの関係などが語られており、少し長いですがご興味のある方はご一読ください。

1966年2月発行 社内報『とうえい』第96号
1966年2月発行 社内報『とうえい』第96号
1966年2月発行 社内報『とうえい』第96号
1966年2月発行 社内報『とうえい』第96号
1966年2月発行 社内報『とうえい』第96号
1966年2月発行 社内報『とうえい』第96号
1966年2月発行 社内報『とうえい』第96号
1966年2月発行 社内報『とうえい』第96号
1966年2月発行 社内報『とうえい』第96号
1966年2月発行 社内報『とうえい』第96号

 東映娯楽版映画は、1時間弱の短い時間の中に起承転結を盛り込み、ハラハラドキドキさせる技術やノウハウを磨く絶好の機会でした。
 東撮娯楽版では刑事物、そして子供向き特撮ヒーロー物が人気を集めシリーズ化します。
 やがてテレビが普及し、娯楽版の技術、ノウハウは30分、1時間という尺が決められているテレビ映画の世界で花開きました。