教育虐待と問題解決Makers U-18のイベントで見つけたこと

昨日のメイカーズのイベントで気づいたこと。

問題発見問題解決!と息巻いている人の悪い例は基本的に、「〇〇被害者の会」的な発想に無自覚に取り込まれてる。即ち相手を糾弾することしか考えることができない。
 私は中受の際に母親から明らかな身体・精神的虐待を受けた。しかし、私は母の事が好きだ。
それは精神支配を未だに受けている訳でもマザコンという訳でもない。ましては情けでもない。
 社会構造に母親が囚われ強迫観念上に暴走していたことを知っているからだ。
 そして、その行動が私の為を思っての事だったと理解しているからだ。(当時は何度も親を殺したいと思っていたが)
 私が「〇〇被害者の会」的な視点に囚われて居れば、「学歴社会はおかしい!教育虐待をやめろ!」と声を挙げていることだろう。
 この主張の是非は置いておいたとしても、この声を上げるだけだと、受験に変わる新たなヒエラルキーを産んでしまう結果を呼ぶ。それは不幸である。
 私たちは今一度、己に不幸を呼び込んだ自身の環境に対してメタ認知を行いそして学び、その上で中立的な裁定者として社会問題と向き合うべきである。
 と、私は電車に乗りながら考えている。

今日は何をたべようか。
メイカーズで知り合った友人が教えてくれた油そば屋にまた行こうか。それとも定食屋に行って魚でも食べるか。
 これもまた、そういうお話。

ただの思索好きの妄言と聞き流してくれると嬉しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?