ラシンのチーム作りについて(超意訳

アルゼンチン在住のライター藤坂ガルシア千鶴さん(@chizurufgarcia)がツイートしていたアルゼンチンリーグのラシンのチーム作り/育成についてのNYタイムスの記事を超意訳しました。
ミリートの優勝の下りとコペンハーゲンの下りがどういう表現なのかよくわからなかったのでどなたかわかれば教えてください。

元ツイートは↓

元記事は↓


元記事を読みながらこちらを読んだ方がいいかもです。

面白い記事なのでたくさんの人に読んで欲しくて和訳しましたが誰かに怒られたら消します。

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ラシンユースアカデミーには古ぼけたウェイトトレーニング用のラックがあり、その後ろの壁はダークブルーに塗られ、シンボルが描かれています。

一方の壁には明るい色で色分けされたドットが、もう一方には1から4まで番号がふられた円が書かれています。足幅より狭い感覚でゴールポストを模した線が描かれ、天井からは2個のボールがぶら下がっています。

クラブスカウト兼アカデミーアシスタントのDiego Huertaがドイツでそれを目にした時、彼は驚きと混乱の表情を浮かべました。
それはドルトムントのアカデミーが誇るFootbonautです。
Footbonautとは先進的なトレーニング機器で、これを利用することにより思考スピード、実行スピードの向上に寄与するとされています。
選手がケージに立つと何秒か置きにボールが排出されます。それと同時に4面を壁の内1面が光ります。選手は正しい壁にボールをパスし、次のボールに備えます。

この器具は世界でドルトムントとホッフエンハイムしか保有しておらずコーチはこれを2,3分トレーニングすれば複数のトレーニングしているのと同じ効果があると主張しています。しかしこれは安くなく1台2万から4万ドルし、またこれを使用するには常に最新のアップデートが必要になります。

この値段はラシンの資産を超えています。地元のソフト会社とともにこのソフトと同等かつ値段を抑えたソフトの開発は行っていますが、それと同時にウェイトルームに書かれたドットや円、吊るされたサッカーボール。アルゼンチンの現実や制約に合わせた適応バージョンです。
「これだ。これが俺らバージョンだ。」Huertaはいいます。

ラシンの精神はこういった全てをなぎ倒すような精神です。アルゼンチンの伝統的なエネルギッシュさ、これはクラブの伝統として息づいています。
※この後ラシンのチーム歴の説明がされますが省力します。

お手製footbonautの話に限らず。このような状況に置いて、ラシンは変革の砦として際立った存在です。例えば他のアルゼンチンの多くチームが採用するより先にユースの55人に心理学とかソーシャルワーカーによるケアを受けさせていました。それは個人個人成長へのアプローチの中核を担うものでした。そしてまたそれはスタジアムの地下のオフィスで行われています。

Javier Weinerのチームは4人で構成されています。それぞれのスカウトimacの前に座ってwyscoutを用いてアルゼンチンの下部と何か国かの南アメリカのリーグを視察しています。またそれぞれには担当エリアがあります。

そしてアナリティクスサービスのinstatを使って、獲得の可能性ある選手の資料をまとめます。プレー情報だけでなく身体、感情、医療の背景も併記します。また、ジャーナリストのネット上の情報も追跡します

このような体制は欧州、北アメリカ、アジアの多くのチームでは標準となっていますがアルゼンチンでは先進的なものです。
「ほとんどの場合選手を獲得するのは監督か会長です。何人かのエージェントの手を借りてね。そこにはプロセスはありません。全ては絶えず変化します。フットボールの事を知らない人間が重大な決断をすることもありますよ。」Huertaは言います。

しかしラシンは(アルゼンチンの典型的なクラブとは違うクラブである。と宣言しています。「私達は先進的でなければいけない、私達はは選手がボカやリーベルといったビッグクラブとは経済規模が違うのでそれらのチームが獲得する前に獲得できるようなネットワークを保持しなければいけないのです」

この計画の立案者はラシンの偉大な人物の一人です。彼のポスターはアカデミーのホールに2枚飾られています。

ディエゴミリートはラシンに選手として2度のタイトルをもたらしましたが成功のほとんどはイタリアで成し得たものでした。彼はトレブルを達成したモウリーニョ政権下のインテルで攻撃陣を引っ張る存在でした。彼は2014年に少年時代を過ごしたチームに戻り、16年に引退。
その後ラシンのフットボールダイレクターと同等の役割を持つテクニカルダイレクターとなりました。

hauertaによると「ミリトのゴールはラシンを再びチャンピオンにする事です。」ミリートによってもたらされた異例の2014年のチャンピオン以来のチャンピオンシップへの挑戦の最前線に立っています(ここの訳わからないです)

「ミリトが欧州に欧州にいたころに目にした取り組みのいくつかをラシンに適用させようとしています」スカウティングはその中心でした。
ミリートは最初に父のgabrielと仕事をしていたweinarと会うことにしました。彼ははモバイルテクニカルユニットと呼ばれるフリーランスのスカウトを運営していました。実際、欧州、北アメリカのクラブと仕事しており、「バイエルンやレバークーゼンなど数クラブから依頼を受けていましたよ」weinarは言いました。そしてラシンファンである彼はミリトから恒久的な契約を求められた際飛び跳ねて喜びました

huertaは少し違うルートでした。アルゼンチンで最も大きな報道機関であるクラリンで4年間記者としての修業したのち彼はスペインのオリンピック選手でありジャーナリストであり作家であり、グアルディオラの伝記の作者でもあるmarti perarnauと働き始めました。

huertaはperanaruのコネクションのおかげで欧州の先進的なクラブと面会することが可能になりました。「ドルトムント、セビージャ、バルセロナ、マルセイユを訪問しましたね。ジダンがRマドリードのセカンドチームの監督をしていた時も行きましたよ。SoccernomicsとMoneyballも読んでいましたし、クラブ運営のアイデアはいくつか持っていましたね。」

彼はラシンでビデオ分析と統計担当として働き始めました。
そしてミリトがラシンにやってきた際彼はhuertaが持つ原稿能力に注目し、huertaを自らの輪の中へ引き入れました。
彼は現在トップチームとアカデミーのスカウティング業務の橋渡し役を務めています。
「それまではチームが構造化されていませんでした」とhuertaはいいます。
「今はチームとしてどうあるべきか明確なビジョンをもっていますよ」

セビージャは偉大なライバルに囲まれた中で選手を売買し継続的な成長を遂げています。それはhuertaがヨーロッパを巡る中で最もラシンに似たチー
ムでした。

ラシンは常にユース年代の育成において評価を受けてきました。アルゼンチンでは「ラ・アカデミア」として知られれています。

そしてそれこそミリトの計画の中心です彼のアカデミーの事務所にはherutaが国内で発見した選手が記載された地図がありますその地図にはあらゆる選手が記載されています。「スイスが時計の作り方を知っているように、私たちは選手の作り方を知っていますよ」白髪交じりのアカデミーダイレクター
migel gomisは言います。そこにはより効果的な、より確実になるような信念もまた存在します。「自分たちのスカウティングが悪いせいで選手を見逃すことがあっても私達はそのミスを知ることは出来ません」gomisはいいます

今やアルゼンチンが数々生み出してきた攻撃的なタレントよりも、より守備的で、チームの頭脳となる選手が求められています。
「私たちはそのような選手を育成しようとしていますよ」アカデミーコーチのclaudioはいいます。「ヨーロッパが欲しがる選手もそのような選手ですね」
ラシンは他チームよりも遠方に原石を探しに行っています。ラシンはアルゼンチンで唯一国際的なユースカップにスカウトを送っているチームだといいました。そしてコロンビア、ペルー、ベネズエラの選手勧誘を始めています。

同様に重要なのは他方の過程が形式化していることです。(ここの訳わかりません)「ある試合で観客の中に金髪で、長身の男が二人いるの見つ
けました」weinerが言います。
「彼らはコペンハーゲンのスカウトだったのですが、彼らは選手視察の術をもたなかったので結局自分たちでチケットを買いゴール裏で観戦した訳です。今は方法を買えましたけどね」

ラシンのやり方は先進的なため疑問を持たれています。大勢の人にとってはスカウティングはいまだに未知の物だからです。

huertaはしばしば他チームのスカウトに何故わざわざ下位のリーグの試合をみたり、ベネズエラの選手を追いかけるのかと聞かれます。
クラブ内にすらそのやり方に懐疑的なものがいます。ミリトの革命は平和的に行われたものではありません。ミリトのような偉大な選手が率いていても変化とは容易なものではありません。しかしながら彼が作ったチームは勇気と信念を持っています。ラシンは少なくとも自らの手で創り上げた未来を見ることが出来るでしょう。

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