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二・二六青年将校と特攻隊の死の意味は!? 「三島由紀夫と二・二六事件」

 先日、映画「三島由紀夫VS東大全学連」を観てから、三島由紀夫が気になっている。
 そこで、北影雄幸という評論家が書いた「三島由紀夫と二・二六事件」なる本を見つけたので読んでみた。

 この本によると三島は二・二六事件でクーデターを起こした青年将校と大戦時の特攻隊員を生涯のヒーローとしていたらしい。
 本書では、この二・二六事件及び特攻隊員に対する三島の言動・論文・作品が解説されている。

 二・二六事件は、天皇親政を目的とした決起であったが、その天皇自身の強い憤慨と敵意により鎮圧され、クーデターは失敗に終わる。一部は自決し、首謀者のほとんどが銃殺刑に処された。銃殺された彼らは刑執行直前に天皇陛下万歳を絶叫したという。
 特攻隊員も同様、天皇の名のもとに敵艦へ体当たりし、多くの若者の命が失われたものの、日本は敗戦する。
 青年将校も特攻隊員も、その念願は叶わず、犬死であり、意味の無い死であったと言えなくもない。
 しかし、三島にとっては願いが達せられたかどうかは問題ではなかった。
 死ぬか生きるかの土壇場で、死を選んだ彼らに超越的な価値を感じていた。
 それは「葉隠」が示す、武士の精神そのものであった。

「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり。二つ二つの場にて、早く死ぬはうに片付くばかりなり。別に仔細なし。胸すわって進むなり。図に当らぬは犬死などといふ事は、上方風の打ち上がりたる武道なるべし。」(葉隠)

 クーデターが失敗に終わっても、戦争に敗けても、そんなことはどうでもよく、そのことをもって犬死などということは、「上方風の打ち上がりたる武道」である。
 三島は自身の異常なまでの感受性により、自決すること自体に圧倒的な美しさを感じてしまった。

天皇主義

 三島は新憲法による「象徴」としての天皇に断固反対していた。
 三島にとっての天皇は神であり、絶対者でなければならなかった。
 しかし、絶対とは相対の逆であり、私より小さいとか、大きいとか、重いとか、軽いとかとは無縁のものでなければならない。
 ところが、天皇はこの世に存在してしまっている。
 この世に実際に「在る」ものが「絶対」な訳がない。
 当然このことは三島にも分かっていただろう。
 にも関わらず、何故、三島は天皇主義者になったのか。
 それは、戦争で死んでいった知人、友人、同世代の人々に対する約束への答えだったのかもしれない。
 その約束とは、戦争で死んでいった若者の「俺たちの死の意味は?」という問いに何とか答えようというするものであった。

 戦後、天皇は人間宣言された。
 そうなると天皇は神であると思って死んだ人々はどうなるのか。
 「神というのはウソでした。」で済まされるのか。
 この思いが端的に表れているのが、三島の短編小説「英霊の聲」。
 二・二六事件の青年将校と特攻隊員の霊が天皇の人間宣言を呪う。
 三島にとって新憲法と天皇の人間宣言に賛同することは、死んでいった仲間たちへの裏切りに他ならなかった。

思想と行動

 そして、三島は思想の内に留まることをせず「行動」にでる。
 三島は、行動を伴わない思想を徹底的に嫌っていた。
 だからこそ、自らの肉体を鍛え、盾の会を結成する。
 最後には自衛隊市ヶ谷駐屯時にて、自衛隊総監を人質にとり、自説を叫んだ後、割腹自殺を遂げる。

 この極端すぎる思想と行動の源泉は何だったのか。
 徴兵検査に落ち、戦争にいけなかった劣等感が、その一つであったことは間違いなさそうである。
 もしかしたら、劣等感というより生き延びてしまった負い目だったのだろうか。
 それとも、自決へのマゾスティックな憧憬か。
 「美」への命をかけたこだわりか。
 分からない。
 しかし、そう遠くない過去において、日本を憂い、自決した小説家がいたことは、もっと多くの人々に記憶されなければならないと思う。

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