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電子立国日本の崩壊 2

 ここからは、視点を少し変え、市場や世の中の変化に焦点をあて、前述(1を参照)のことと重ね合わせながら考えてみたい。専門用語も少しあり、わかりにくい表現もあるが、お付き合いいただきたい。
 
 
3)      アナログからデジタルへ
 
日本の電機電子半導体業界が、世界の中で圧倒的な力を持っていたとき、すなわち80年代から90年代にかけては、音や映像の処理はアナログが中心であった。回路の一部がデジタルになったとしても、大部分はアナログであったし、アナログでの処理を除いて、すべてをデジタルで処理することはできなかった。
 
このため、電機電子業界のメーカーは、半導体メーカーから部品としての半導体を購入するとともに、電機電子メーカー自身が長きに渡って培ってきた、アナログ処理におけるさまざまなノウハウを製品開発に求められた。このことは独自のノウハウを製品の中に適用することになり、(半導体を搭載する基板における技術などを含め) このことがそのまま製品の差別化となって現れた。長きに渡って培われたアナログ処理のノウハウがなければ、市場への参入すら難しかったのである。
 
半導体の業界においても、アナログの処理が多いと周辺回路を取り込み大規模に集積化をするのは難しく、また出来上がった半導体製品の特性を確認する場合も、作って見なければわからない部分があり、半導体製品自体で差別化ができた。
 
ところが製品がアナログ処理からデジタル処理が多くなり、いつしか、入力から出力に至るまで、ほとんどがデジタルで処理できるようになると、半導体さえ入手できれば最終製品を簡単に作れるようになった。従来のアナログのノウハウは必要なく、デジタル処理において回路を動作させるソフトウェアやCPUを使いこなすことが重要になってきた。求められることが全く違うものになったのである。しかし開発や設計を行う技術者は、簡単にアナログからデジタルに移行できるものではない。長年培った技術やノウハウを簡単に捨てることもできなかったし、新たにデジタルを勉強しても全く違う分野であり、(アナログの場合は時間をかけて実際にものを作り込んでいくが、デジタルの場合は論理回路をコンピューター上で設計すればいい)受け入れられない人も多く、受け入れられても時間がかかる。新たなデジタルの技術者を採用するにしても限界がある。別の言い方をすれば、アナログからデジタルへの変更は、音響や映像の分野をコンピューターの世界(論理回路のロジックの世界)に変えてしまったのである。
 
半導体メーカーが開発する製品も、アナログの時には必須だったプロセスに基づく作り込みは必要なく、IPと呼ばれる個々の機能(機能を実現する個々の回路ブロック)をつなぎ合わせることで容易に実現できるようになってしまい、またIP自体も簡単に入手ができるようになってしまった。一方でデジタルの論理回路の場合は、半導体の競争力が微細化によって決定されるようになったため(微細化できると小さく作れ、歩留まりも上がり安くなる)、半導体メーカーの投資を飛躍的に増大させ、より多くの売り上げ、利益が必須となっていった。同時に半導体メーカー独自の差別化が難しくなり、価格競争に陥る様になってしまった。これは求められている増大する投資に対して、逆の力が働いてしまうことになる。半導体メーカーは、数量や規模を追い求め、実体の伴わない数量にもかかわらず安易に価格を下げ、利益なきビジネスを繰り返し競争力を失っていった。
 
一方の電機電子メーカー側も、半導体メーカーから供給されるどこの半導体を採用しても、どこでも同様の製品が作れるようになり、製品として差別化できなくなり、同じように価格競争に陥ってしまい、競争力を失っていった。
 
 デジタル化は、消費者には大きな恩恵をもたらしたが、それを支える製品を供給する側では熾烈な競争が想定以上に生じ、従来のやり方、方法、考え方が根底から覆された。このことに気がつくことができず、もしくは対応が遅れてしまい、企業として適応できなかったことが(技術者ばかりではなく経営や営業も含め)日本の電機電子半導体の分野で競争力を失った一つの要因である。
 
 
4)      日本特有の半導体ビジネス
 
 ここからは少しくだけた表現を用いるが、ご理解いただきたい。
 
 士農工商半導体という言葉を聞かれたことがあるだろうか。
士農工商とは、江戸時代に言われた身分制度であり、半導体関係者の身分は、最も低い最低のものだという意味である。
 
これが言われた初期の半導体の営業は、お客様の購買部門を訪問し頭をぺこぺこ下げ、取引の比率や売り上げを上げてもらうべく交渉を行うが、自社の持つ特性や機能を説明できず、またできたとしても購買部門では理解ができず、技術部門では数社からの購入が可能なように設計が行われていたため、営業活動があまりにも低レベルだと言われたことがあった。それを揶揄したものである。
現在ではこのようなことを聞いたことがない関係者も多いだろう。ただ、このような経緯を経て、半導体メーカーの営業と電機電子メーカーの購買部門が繋がっていくと、関係は癒着に近いものが生まれ健全な取引を阻害してしまう。
 
半導体を大量に購入する電機電子メーカーは規模も大きく、特に地方においてはその存在自体が納入業者を圧倒できる存在であった。ある地方では、半導体のメーカーの支店や営業所の営業活動が、ある電機電子メーカー1社に集中してしまい、来る日も来る日も、営業担当者はその会社を訪ねることになり、また打合せを重ねると、購買担当者と懇意になり夜の街に繰り出すことになってしまう。場所を変えて打合せをしましょう ということになり、時間の経過とともに、接待営業が取引を決めてしまうようになる。このようになると大切なのは、購買担当者やその部門の責任者との関係のみとなってしまい、(もちろん現在でも癒着ではない相互の関係は大切な要素ではあるが.....)酒やマージャンによって、ビジネスを築いていくことになってしまった。あるところの購買担当者が、今日は何が食べたいからどこの半導体メーカーを訪問しようか などという話になってしまう。口実を設け、夕方に訪問、夜の街に繰り出すのである。購買を10年も経験すれば家が立つ などと言われることもあった。
 
これらの関係が継続するには、何が必要であっただろうか。
購買部門が選択し決定できる権利を持たなければこの関係は維持できない。他の部門に決定権があったり、誰の目にも明らかな取引になると潰れてしまう。このため技術部門や設計部門に対しては、数社から購入できる部品で製品を設計することが求められ、半導体メーカーには、他社の半導体と同じものを作り、置き換えられることが求められた。これは時として半導体が不足した際は、有効な調達手段であるが、価格の比較でコストダウンの材料にしたり、購買が選択権を維持することが目的であれば弊害が生じる。このような環境が長く続いてしまったことが、半導体メーカーが製品で差別化するのを難しくし、価格競争にさらされるとともに、採用する側である電機電子メーカーも、どこの半導体メーカーから供給される半導体を採用しても、どこでもほぼ同様の製品が作れるようになり、結果として過度の価格競争に陥り、ともに衰退してしまった。
 
米国ではセカンドソースという言葉で、同じものが開発、生産されることがあるが、前述したような日本での極端な取引には至っていない。これはセカンドソース製品が何かあったときの保険であることが理解され、位置づけが明確であるとともに、最初に開発をした製品に敬意が払われた取引が成立しているからである。
 
この日本独特の商取引は、長い間に産業自体を蝕んでしまった一つの要因と考えられる。欧米のように、購買担当者は契約業務を主業務とし、発注等を徹底的に効率化できない日本の文化、何でも対面で打合せないと物事を進められない日本の文化 に起因しているように思われる。
 
 ただこれを理解するのは、数年で繰り返す半導体の極端なモノ余りと、モノ不足を合わせて理解しておく必要がある。
 
 
 3に続く
 
 

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